誘導
Fate/GrandOrderの同名人物。→シャルロット・コルデー(Fate)
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概要
(1768年7月27日生~1793年7月17日没)
マリー=アンヌ・シャルロット・コルデー・ダルモン。
フランス革命期を生きた貧しい貴族の娘。
三大古典詩人の一人、コルネイユの子孫であり、先祖やルソーの著書を読む物静かな女性であった。
革命推進派ではあったもののジロンド派(穏健派)に属しており、ロベスピエールが所属するジャコバン派(過激派)とは抗争関係にあった。
ジャコバン派による恐怖政治や敵対者への無慈悲なギロチン刑のみならず、貴族に対して絞首刑を行いそれを見世物にする(当時は斬首刑が最も敬意ある処刑法であり、絞首刑は身分の低いものへの見せしめとして行う残虐な刑とされていた)などの惨状にたまらなくなった彼女は、1793年7月13日、ジャコバン派指導者の一人であるジャン=ポール・マラーを暗殺し、その場で逮捕された。
マラーは一般の意見を広く聞きたいと門戸を開けており、かつ病気療養中で薬湯に浸かって執務を行っていたため接近は容易であったが、その死体は包丁によって肋骨をすり抜けて心臓を一突きにされており、高い技能が求められるため、裁判官から「他にも何人か殺しているのでは」と疑われた。
7月17日に開かれた革命裁判においてもシャルロットは冷静に持論を展開し、過去の殺人を疑われた時以外は声を荒げることすらなかったという。
でもパリにやってきてから暗殺実行までわずか4日のスピード暗殺は正直疑われても仕方ない面が多々あると思う。
「なぜわざわざ会ってくれるほど優しく、皆に敬愛されていたマラーを殺したのですか?」
「私に優しくても何だというのでしょうか。他の方々にとっては悪魔だったではありませんか」
死刑判決を受け入れた彼女はただ肖像画を描いてもらうことだけを希望し、即日ギロチンで処刑された。
たいへんな美貌を有していたとされ、事実その肖像画には白いボンネットをかぶって白いドレスを身につけた美女として描かれており、今日でもヴェルサイユ宮殿美術館で人気の作品となっている。さらに死ぬまで凛とした佇まいを崩さなかったことから、ギロチン台に集まった多くの民衆がその姿に心を奪われたといわれている。恐怖政治が終わる数日前に処刑された詩人アンドレ・マリ・シェニエは「美しく、若く、輝かしい彼女の姿は、死刑執行人の目にあたかも結婚式の車に乗ってきた女人のように見えた」と述べたという。
死刑執行人シャルル=アンリ・サンソンとも、彼女から刑場に向かう途中で逮捕された際に手首を縛られてとても痛かったので手袋をして良いか問われ、サンソンが痛みを与えずに縛れると伝えると安堵したという逸話がある。サンソンはシャルロットに対して「彼女は確かに美しかった。それは彼女の美しさだけのせいではなかった。最後の最後までなぜあのように愛らしく毅然とした振る舞いが出来るのか私には到底、理解できなかった。」と評した。
マラーは既に政治的権威を失っており、むしろその死がロベスピエールによって神格化されたことでさらに恐怖政治が加速するという皮肉な結果に終わったものの、恐怖政治に対してただ一人立ち上がって異を唱えた姿と美貌から、のちに「暗殺の天使」「カーンの処女」などと呼ばれた。