思想家「荘子」
古代中国戦国時代宋国蒙の思想家。老子と共に道家の代表的人物とされ、合わせて「老荘」とも呼ばれる。姓は荘、名は周。『警世通言』に拠れば、字は子休。南華山に隠居したという伝承から、後に唐の玄宗に「南華真人」と追号されている。生没年は不明。『史記』に拠れば、漆園の役人をしていた事があるらしい。極めて史料に乏しい人物であり、架空説もある。
思想書『荘子』からは、老子を始めとした道家の先人の他、儒家・墨家・名家等の影響が窺われる。特に名家の恵施とは親密であったらしく、『荘子』には二人の議論から成る説話も少なくない。ちなみに、荘子の活動は儒家の孟子と同時期と考えられているが、互いに言及は見られない。
思想書『荘子』
「荘子学派」による古代中国の思想書。荘子の追号から『南華真経』とも呼ばれる。
現行の『荘子』は晋の郭象の編纂によるもので、全33篇が内篇7・外篇15・雑篇11に分けられている。しばしば「内篇が荘子の著作で外雑篇は後世の加筆」と説明されるが、確証のある説ではない。ただ、内篇が荘子思想の中核である事は広く認められている。
内容を要約する事は困難だが、おおよそ「人知の相対性と限界を指摘し、自然に自由に生きる事を主張している」と言えるだろう。その華麗奔放な比喩と逆説に彩られた文章は、文学的にも高く評価されている。
読みについて
「そうし/そうじ」と二通りの読み方があり、『日本大百科全書』などでは思想家を「そうし」・思想書を「そうじ」と呼び分け、『広辞苑』などでは儒家の曽子(曽参)と区別するため濁るとする。
荘子曰く
- 胡蝶の夢
- 木鶏⋯故事成語。日本では双葉山が70勝目を逃した際、安岡正篤へ「我、いまだ木鶏足りえず」と打電した逸話が有名。
- 「わたしは生贄の牛の様にはなりたくない。わたしは自由を縛られるより、どぶの中で遊んでいたい。気の向くままに暮らしたいのです」
- 寿(イノチナガ)ければ則ち辱(ハジ)多し
関連タグ
- 三国志演義:「南華老仙」という名前で登場。張角に巻物を授ける。その際彼へ「悪用すれば天罰が下るぞ」と警告した。彼がそれを悪用したのを見て「だから言ったじゃろ」と幻となって現れ、直後張角は血を噴いて死んでしまう。
- 達人伝:戦国時代時代が舞台の漫画。荘子の孫・荘丹が登場する。
関連リンク
『荘子』原文(中國哲學書電子化計劃)