概要
仏教やヒンドゥー教といったインド系宗教を中心に成立した概念で、前世・現世とセットで扱われる。
「今の人生が苦難に満ちていても正しい心・正しい行いで生きれば来世で幸せになれる」という精神的救済の役目を担ったのと同時に、「どんなに現世利益を積み上げても悪い心・悪い行いによって生きれば来世でとことん苦しめられる」という生活上の戒めに用いられた。
江戸時代には身分差等の要因で結ばれない恋人達が来世で結ばれることを願って心中する事件が度々起き、歌舞伎や浄瑠璃の題材として心中ものが人気の演目の一つだった。このように「愛する人と来世でも会いたい」とする考え方は現代でも根強く、葬儀の席で故人に向かって「来世でも貴方と(貴方の)○○になりたい」と弔辞を送るケースは多い。(例としては舘ひろしが渡哲也の葬儀の後にメディアの取材に答え、来世があるなら再び渡哲也さんの舎弟でありたいとコメントしている)
その他に、現代では自身の成長や栄達を諦めた人がよく「来世では」と口にする。
来世はある?
来世はあるのかと言うと実はある。この世での行いが来世にも影響すると言われてるがそれは否定出来ない。
この世での行いで明るく前向きに行動し、世の為、人の為に行動し、また人助けしたり、日本赤十字社で献血したり、神社仏閣で改修工事の為に奉納寄付したり、また被災地及び被災者に寄付したり等きちんとコツコツプラス思考な行動取れば晩年は幸せな人生を送り、来世幸せな人生を送り、逆に人に不幸な事をしたり、自分さえ良ければ良いと自己中心的な事ばかりした者は晩年は不幸な人生を送り、来世は厳しい人生を送る可能性があるので要注意。