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久保康友の編集履歴

2024-04-22 19:41:31 バージョン

久保康友

くぼやすとも

奈良県出身のプロ野球選手(投手)。

概要

出身奈良県
生年月日1980年8月6日
身長・体重180cm、81kg
投球・打撃右投右打
守備位置投手
プロ入り2004年自由獲得枠

経歴

NPB時代

2004年、松下電器野球部から千葉ロッテマリーンズに入団。


プロ入りしてからは先発、中継ぎと様々な場面に起用できる器用さと、球界屈指のクイックの速さを売りにしていたが、ロッテは投手王国で渡辺俊介清水直行成瀬善久など優れた投手が粒ぞろいだったため、1年目に新人王を獲得したが、その後は活躍の場はなかった。

彼が本領を発揮したのは、2009年阪神タイガースにトレード移籍(相手は橋本健太郎)してからである。移籍当初から、めちゃくちゃな采配が多発した真弓明信主導の阪神で大活躍し、右のエースとなり2010年は2ケタ勝利をおさめた。


2013年藤川球児の移籍に伴い中継ぎ・抑え要員で起用されるものの、救援失敗や太腿の故障が相次いだ。同年FA宣言を行い、横浜DeNAベイスターズへ移籍。

2014年以降は先発に転向。入団1年目の2014年は14勝をマークしたが、それ以降は1ケタ止まりの勝利数となった。若手の台頭もあり2017年の一軍公式戦の登板数は7試合にまで減少。同年オフに自由契約扱いで退団した。


NPB退団後

  • 現役続行を模索している中、2018年4月にアメリカ独立リーグ「アメリカン・アソシエーション」所属の「ゲーリー・サウスショア・レイルキャッツ」と契約し1年間プレー。レイルキャッツは過去に、チームで一緒だった横浜DeNAベイスターズの坪井智哉コーチが現役時代に所属していた。
  • 2019年2月、「メキシカンリーグ」の「レオン・ブラボーズ」へ移籍。同年はリーグ最多奪三振のタイトルを獲得したが、チーム編成の都合で1年で退団。
  • 2020・2021年シーズンは(現役続行の意思がありながら)無所属・野球浪人生活を送った。
  • 2022年は独立リーグ「関西独立リーグ」の「兵庫ブレイバーズ」でプレー。「北海道ベースボールリーグ」の「富良野ブルーリッジ」との交流戦後に同チームへ2週間だけレンタル移籍することもあった。
  • 2023年はドイツ・野球ブンデスリーガの「ハンブルク・スティーラーズ」で競技生活続行。シーズンを通して北部最優秀投手に選ばれる。


人物

クイックモーションの達人で、盗塁阻止率が高く、久保がマウンドにいる時は盗塁を諦める選手も多かったという。


プロ生活を続けていく中で野球を仕事として成績を気にしながら続けていくことに疑問を持ち始め、現代の日本野球の構図(少年野球からプロに至るまでのプロセス、野球でお金を稼ぐ仕組み)には否定的な立場を示すこともある。

メキシコ時代には能力や実績の割にかなり格安な年俸で契約したらしく、球団のフロントは質のいい投手が低コストで獲得できて大喜びしたらしい(ただし、それでも年俸の支払いが滞るなどチームの運営体制そのものにもかなりの問題があり、結局久保はチームから離れることになった)。


同世代の松坂大輔を筆頭に優れた選手を多数生み出した所謂松坂世代の一人でもあり、松坂本人より遅れて大学卒業後にプロ入りし活躍したことから新人時代「松坂世代最後の大物」と呼ばれた。

2024年NPBで唯一現役の和田毅を「最後の松坂世代」と呼ぶことがあるが、一部ではNPB外とはいえ球団で現役を続けている久保の事も含めることがある。


現役にこだわり続けており、コーチになったりする希望はないと語っている。それでも元NPB選手の技術は南米や欧州の野球においては非常に貴重で、練習や試合後から教りたいという選手がいると久保は喜んで持ち前の技術を伝授しているという。


よく野球で海外へ飛んでいくものの、その一番の目的は旅らしく、新たに外国のチームと契約するときはそれまで行ったことのない国を優先したいとのこと。そのスタンスから「球界の高等遊民」と称されることもある。





関連項目

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