概要
1976年8月27日生まれ。栃木県出身。
國學院栃木高校時代はエースで4番の小関竜也がいた事もあり2番手投手。
大学時代は東都大学野球連盟所属の國學院大學へ進学したが1部では投げられなかった。
しかし社会人野球の新日本製鐵君津(のち、新日鐵住金⇒日本製鉄かずさマジック)の当時の監督の目に留まり1999年に入社。
当初は“指に引っ掛かり過ぎるリリース”で制球力が悪かったが改善し、当初はチーム内でも2番手投手だったが第71回都市対抗野球大会のて本大会の出場権を手にしたものの、予選でエースが肩や肘を故障して手術に追い込まれ、本戦で渡辺が先発投手の柱として全4試合に登板して4強入り、優秀選手賞を獲得。
また、プロアマ混成チームのシドニーオリンピック野球日本代表にも選出、1勝1敗(イタリア戦で勝利、キューバ戦で敗戦。)の成績を上げる。
2000年のシーズンオフに千葉ロッテマリーンズにドラフト4位指名を受けて入団した。世界一低いと言われるアンダースローが特徴。愛称は「サブマリン俊介」、「ミスターサブマリン」。彼のアンダースローは地上約3cmの位置よりボールをリリースしており、本人曰く「たまにダフる(ボールを地面に擦る)」らしい。
2013年シーズン終了後はメジャー挑戦を表明し自由契約となった。2014年・2015年シーズンはアメリカの独立リーグでプレーし、その後2015年12月1日付で、かつて自分がいた社会人野球の新日鐵住金に、コーチ兼投手として復帰(2019年にコーチ選任)している。たまに野球解説者としてのテレビ出演も。
2020年より同チームの監督に就任。