概要
映画版の公開は1971年(日本での公開は1972年)であり、監督はスタンリー・キューブリックが務めた。ワーナーブラザーズ配給。
舞台化もされており、日本では2011年に小栗旬主演で上演された。
近未来のロンドンを舞台に、ケンカやレイプ、麻薬やリンチと言った非行に走る少年たちと、彼らを取り巻く退廃した未来社会の様子を描いた、一種の風刺作品である。
犯罪を減らすために個人の感情をコントロールしようとする政府、子供のことにはほとんど関心を示さない放任主義な親たち、そして汚職のはびこる行政や警察機関と言った歪みきった社会を、ありったけの皮肉を込めて描いた悪の舞台劇。
弱者に強く当たる人間の醜さを、滑稽な様子で、コメディタッチに描いている。
また作中では、主人公を含む少年たちが会話の中で“ナッドサット”と呼ばれる独特の言語を使用する。
これはロシア語と英語を組み合わせて作られた若者言葉である。
(わかりやすく言えば現代日本人が使うギャル語の様なものである)
暴力描写や性的な描写が作中の至るところに散りばめられており、公開当時、この映画の内容を真似たとされる犯罪が度々起こったとの報道があり、本国イギリスでは公開から間もなくして上映が打ち切られたという経緯がある。これは監督であるキューブリックによる判断である。
一部ではこの映画は暴力を誘発したと言う否定的な意見もある。
一方で、本作は米国アカデミー賞の作品賞にノミネートされたり(受賞は逃している)、ニューヨーク映画批評家協会賞を受賞しており、映画としての完成度は非常に高い。
ストーリー
近未来のロンドン、反逆児アレックスは彼の悪友たちとともに、夜毎街に駆り出しては、行きつけのバーで麻薬入りのミルクを飲んだり、初老のホームレスをリンチしたり、不良グループと大乱闘し、ウルトラバイオレンス(無軌道な暴力)を大放出したかと思えば、今度は民家に押しかけ、そこの婦人を集団でインアウト(輪姦)したりと、歯止めの利かない非行に走っていた。
放任主義的な両親は彼が夜毎非行に走っている事など露知らず、彼の言い分を鵜呑みにするばかりだった。
ある日仲間たちと、町外れの豪邸に忍び込んだアレックスは、そこで一人暮らしをしていた初老の女性を殺害してしまう。
その場から立ち去ろうとするが、仲間の裏切りに合い、駆けつけた警官に逮捕されてしまう。
その後懲役刑を喰らったアレックスは、刑務所では模範囚として大人しくしていたが、何とか早く出所する方法はないものかと、内心ではまったく悪びれてはいなかった。
そんなある日、アレックスは人づてに、政府が面白い実験をやろうとしていると言う情報を耳にする。
それは『ルドヴィコ療法』と言うもので、この実験の被験体になれば、すぐにでも刑務所から出所できるという話だった。
たまたま刑務所を訪れていた内務大臣に自分を売り込んだアレックスは、運よく被験体の座を射止めることに成功する。
刑期の短縮を喜ぶアレックスだったが、実はこのルドヴィコ療法は、個人の思想を強制的にコントロールするというものだった。その結果、彼は暴力やセックスを頭に浮かべる度に、強い吐き気を催すようになった。無事に出所できたアレックスだったが、そこで彼を待ち受けていたのは、無抵抗な彼に降りかかる、かつての被害者たちからの暴力だった……。