概要
言葉の意味
現在では「情けは人の為ならず」の意味が誤解されているように、この言葉も表向きの意味だけが独り歩きしており、真の意味合いが伝わらないことが多い。
「たとえそれが偽善や自己満足であっても、パソコンの前から良識人ぶって人の行為を批判するだけで何もしていないやつよりはマシ」というのが本来の意味であり、ボランティア活動や慈善活動に対する批判・非難・中傷的な発言への反論の意を含んだ言葉であって、偽善的行為そのものを肯定するものではない。
そもそもこの言葉における「偽善」は本来の「偽善」の意味とは異なる。
自分がそう思ってなくてもやってることが善行なら立派な善だし、善行と思っても単に独り善がりだったり結果的に被害をもたらすのであればそれは偽善になる。
切っ掛けが何であれ、害さえなければしてもらった当人が善行だと思ったのならそれはただの善となるのである。
つまり「募金してる俺って偉い」という態度は自己顕示欲丸出しの偽善者でも、実際に募金してる分御大層なお題目を掲げてその偽善者の態度を批判するだけで実際は一銭も出していない善人より数段マシ、という意味である。
偽善≠妨害
一方で、この言葉はあくまでも、「結果的に、その行為をされている側の役に立っていれば本人の思惑が悪意だろうと悪戯であろうと良いものは良い」という意味で使われるものである。
断じて「自分の自己満足のために善意を押し付けること(スラックティビズム)」を正当化するものではない。
まして、善意の押しつけで実害が出た際の非難を封殺するために使うなど論外である。
行動の結果が善行でなければどんな善意も悪である。
天国は「善行」で満ちているが、地獄は「善意」で満ちているのだから。
知名度向上の経緯
この文言でこそ無かったかもしれないが、考え方自体は古くから存在している。
今の世で有名になった理由としては、上述の通り2ちゃんねるでのいくつかの書き込みが挙げられるだろう。
2002年の募金活動
まず最も有名なのが、2002年に行われた募金活動における書き込みだろう。
この時は、募金によってアフガニスタンに学校を建設したいと言う1人の有志が建てたスレッドが発端となり、当初こそ一介のスレッドでしかなかったものの、続々と賛同する者が現れて一大プロジェクトとなった事例である。
2ちゃんねる内で大きな話題となったために大勢の注目を浴び、中には冷やかし目的でこれは偽善だろうと非難する者もいた。そんななかで言われたのが「しない善より、する偽善」である。それ以降、この言葉をモットーに、活動はより強固なものとなっていった。
折り鶴13万羽プロジェクト
また他に有名なものとして、折り鶴プロジェクトにおける書き込みも挙げられる。
2003年8月1日に広島県広島市中区の広島平和記念公園内にある「原爆の子の像」に捧げられていた約14万羽の折り鶴が大阪府東大阪市に住む男子大学生のいたずらで放火されるという事件が発生。
それを受けて2ちゃんねる内で、「失われた折り鶴を2ちゃんねらーで折って、広島に届けよう!!」というコンセプトの元に「折り鶴13万羽プロジェクト」が立ち上げられた。今日2ちゃんねらーが広島原爆ネタで草生やしている状況からすると信じがたい運動である。
活動を続けていくうちにスレッドに「しない善より、する偽善」という匿名の書き込みがあり、この言葉が後に、このプロジェクトの合言葉のようになった。
関連タグ
24時間テレビを巡る議論・・・おそらく日本で1番著名な実例。擁護派によって実際に使われた事例あり。ただここ最近は番組や局全体の情勢の変化(というか悪化)から、批判派の間でも使われている事例もあり。
献血・・・同じく日本において一部で偽善という声が上がっており、実際にこの言葉を用いた反論が上がっている実例。近年また言われるようになった理由は…多分これ。
鋼の錬金術師・・・この言葉を実際に使用する人物が登場する。
アレルヤ・ハプティズム・・・自らが行った救助活動を内なるもうひとりの自分に偽善と否定されるも「それでも善だ!」と跳ねのけて続けた人物。