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徳大寺公孝の編集履歴

2024-07-05 21:44:36 バージョン

徳大寺公孝

とくだいじきんたか

徳大寺公孝とは鎌倉時代中期の公卿。

概要

徳大寺公継の子、母は藤原頼平の娘、官位は従一位、太政大臣


プロフィール

時代鎌倉時代中期
生誕建長5年(1253年)
死没嘉元3年7月12日(1305年8月3日
官位従一位、太政大臣
主君後深草天皇亀山天皇後宇多天皇伏見天皇後伏見天皇後二条天皇
氏族徳大寺家
父母父:徳大寺公継、母:藤原頼平の娘
兄弟公孝、道基、公信、教子、公仲
二条良実の娘
実孝忻子

経歴

正嘉元年(1257年)に従五位上、侍従となり右少将、左中将に進んだ、文永4年(1267年)に参議、左兵衛督、検非違使別当となる、文永6年(1269年)に権中納言、弘安6年(1283年)に権大納言、正応4年(1291年)に内大臣、正安元年(1299年)に右大臣となり翌年の正安2年(1300年)に従一位、乾元2年(1302年)から嘉元2年(1304年)まで太政大臣となる、嘉元3年(1305年)に出家した。


外部リンク

徳大寺公孝 - Wikipedia


関連タグ

公家 徳大寺家 鎌倉時代

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