『空飛ぶ装甲車』
このMi-24はソビエト流電撃戦のために開発された。
戦車のように歩兵を同乗させ、
戦場を奥深くまで切り開く『空飛ぶタンクデサント』である。
歩兵8名が同乗できる兵員室があり、機銃掃射の後に着陸して歩兵を展開させられる。
(というか、他に用途が考えられない)
アメリカのAH-1『コブラ』を参考にしながら開発され、そこへソビエト独自の考え方を導入している。
それが上記の『空飛ぶタンクデサント』であり、そのために装甲車顔負けの装甲を施している。
開発について
開発は1968年より開始され、1970年には評価試験用の機体が完成している。
このMi-24Aは基になったMi-8の特徴を残しており、コクピットは3名乗りの防弾ガラス張りである。
しかしこのコクピットは防弾性能で不安があり、(ガラス面積が広かった)
1972年に登場したMi-24Dでは縦列配置の完全防弾コクピットとなって解決された。
Mi-24Dは新しく可動式の12.7mm機銃を装備しており、対地センサーも追加された。
同年、システムが更新され、誘導ミサイルが使えるMi-24Vが登場している。
1974年には可動式機銃を対地攻撃用の30㎜機銃(固定式)に換装したMi-24Pが登場した。
輸出用に「格下げ」された型はMi-25と呼ばれ、軽量化を兼ねて車輪が固定式にされている。
本家のMi-24共々、現在でも現役である。
装甲車の有効性
強襲ヘリとしてアフガン侵攻でも使われたMi-24だったが、肝心の能力については不満が残った。
輸送ヘリとしてはムダが多く、戦闘ヘリとしては大き過ぎて目標になり易かったのだ。
結果として『戦闘ヘリは専用の機体の方がいい』とされ、
後継のMi-28やKa-50では輸送能力をもたないようになっている。
なお、輸送能力を持たないとされているMi-28等にはアクセスハッチ内には窮屈ではあるものの2~3名の搭乗が可能なスペースがあり、撃墜された他のヘリの搭乗員を救出した際等に使用されることがある。
西側のAH-64等では着陸脚や段差部などの機体外部にしがみつく形で運ばれるのに対し、ハッチを閉じてしまえば多少無理な機動をしても放り出されない利点がある。
装甲車の脅威
しかし、Mi-24の脅威は凄まじいものがあった。
アフガニスタンのゲリラ(民兵)にFIM-92『スティンガー』(歩兵携帯型地対空ミサイル)、それ以前にはイギリスのMI6がブローパイプ携帯地対空ミサイルを極秘裏に供与している。
(このゲリラが「アルカイダ」に発展するのだが、それはまた別の話である)
それほどまでに恐ろしい存在であり、実際に恐れられていたのだ。
小銃の弾丸を平気で跳ね返し、手元の武器では立ち向かう術が無いのである。
その間にもMi-24はロケット弾を発射し、機銃掃射でみな次々と殺されていく。
それほどまでの脅威だったのだ。
CIAとしてはソビエトの足を引っ張る程度で供与したのだろうが、
これは大きな助けとなった。
場合によっては「ヘリコプターの上から」攻撃したのだ。(山の頂上から撃ち下ろした)
この戦争でMi-24の弱点も明らかになった。
それはエンジンが隣り合っているせいで、片方が爆発するともう片方も被害を受けるのだ。
この配置は原型のMi-8から受け継がれたものであり、変更はできなかった。
とりあえずの暫定策としては、エンジン間に防弾版を追加することで対処したが、
後の後継機(Mi-28やKa-50)では機体を挟んで配置するようにしている。
とにかく、このMi-24の実戦投入で戦闘ヘリの理想形が明らかになった。
それは奇しくもアメリカと同じようなものであった。
ブローパイプ携帯地対空ミサイル
1975年にイギリスが採用した歩兵携帯型地対空ミサイルの事である。
このミサイルは歩兵携帯ミサイルとしては初期モデルであり、
誘導装置には「SACLOS」という半自動照準一致誘導システムが搭載されていた。
早い話が無線「操縦」ミサイルであり、当然ながら命中させる為に職人技が求められる。
要は本国の兵士さえ持て余すミサイルだったので、
アフガンの民兵たちには使いこなせなかったのだ。
(当然の事である)
結局CIAが最新鋭の「スティンガー」を供与する事になり、ブローパイプ自体も10年で生産終了となった。
しかし誘導装置の不備は如何ともし難く、
一応11機の敵機を撃墜(うち2機は未確認)した事になっているが、それはプカラのような低速機相手で、
しかも「総合で百数発」とも言われる数を発射して、もしくは職人的技術を以ってしてやっと挙げられた戦果である。
対戦車ミサイルであるミランのように陣地に撃ち込んだという話もあるほど。
結局「スティンガー」の便利さに負けて姿を消していった。
後継としてジャベリンが開発され、こちらもアフガニスタンでムジャヒディンに供与された。
冷戦終結後の発展
冷戦終結後、Mi-24シリーズにも変化が有った。それは後続機の誕生と機器交換などによる更新機の誕生である。一例をあげるとMi-24/35 Mk.IIIスーパーハインド、南アフリカで開発された大幅な改修型で、火器管制装置やGPS等の航空電子機器を搭載する。これにはアメリカ生まれの技術もありかつての敵国の技術が使われているのである。(Mi-24以外にもT-55やT-72戦車などにもこのようなことが有る。)