ハインドの後継者
Mi-24が完成してしばらく経った1972年のこと。
M・L・ミーリ記念モスクワ・ヘリコプター工場(旧ソ連時は「ミル設計局」)では、より戦闘向きのヘリコプターの開発が進められていた。
この機体には「Mi-28」の仮ナンバーが与えられており、対戦車・対ヘリコプターの攻撃能力や味方への援護を重点に置かれていた。
製作にあたっては既存のヘリコプターを原型とせず、完全な専用設計として開発されている。
アフガン侵攻の戦訓から、2基のエンジンは胴体を挟んで配置され、たとえ1基が破壊されてももう片方に影響が出ないようになっている。
Mi-24のような兵員輸送能力は持たないながらも、コクピットとは別に3名までの人員を収容できる空間があり、簡易的ながらも負傷した兵士等を搬送する事が出来るようになっている。(ライバルのKa-50にも同様のスペースが設けられている)
1982年に試作1号機、翌年には2号機も完成した。
1984年には試験を終了し、Ka-50との性能比較が行われている。
だが結果は不採用。
それに伴い開発作業はトーンダウンしたが、それでも細々と開発は続けられていた。
1988年、エンジンを換装したMi-28の改良型が初飛行。
しかし、努力が実を結ぶ事はなく、1993年に開発作業の中止が決定した。
性能が低く、全天候能力も欠如している事が不採用となった原因だったという。
模型化(不名誉?)
なお、この試作Mi-28、タミヤのウォーバードコレクションNo.11に「ソビエト攻撃ヘリコプターミル」として発売されている。当初は「Mi-28」だったはずなのだが、いつの間にかこちらの名称になってしまった。正直言って制式型の面影がないこともないが、前半分はまったくの別物である。さすがは試作機といったところか。
復活のハボック
1995年、全天候能力を拡充したMi-28Nが登場。
Ka-50が高価なせいで配備が進まず、Mi-28開発計画が再スタートしたのだ。
それから数年が経過した2006年にはロシア陸軍より10機の発注を獲得し、2015年までには合計300機が発注される予定となっている。
能力的にはアメリカのAH-64にも匹敵すると言われ、現在は海外への売り込みも盛んである。