キリスト教が禁止された江戸時代においてカトリックの流れをくむ信仰を続ける人々。漢字では吉利支丹と表記するが、禁教以降は切利支丹、鬼理死丹などと蔑称的表記もなされるようになった。
禁教以降は激しい弾圧に合い、「隠れキリシタン」として仏教的、神道的なカモフラージュで自身の信仰を守らざるを得なくなった。白衣観音や慈母観音を聖母マリア像に見立てたり(マリア観音)、仏像の裏や底、ポーズの中に「十字」のマークを潜ませる等の努力がなされた。
当時翻訳された聖書の巻はごく一部であり、禁教により宣教師の指導、日本人司祭の育成が出来なくなってしまったこともあり、時代を経るにつれその信仰内容は変質し、元のカトリックとは別物になってしまった。
禁教がなくなり、信仰の自由が認められた近代に至ると、大半はカトリック教会に復帰し、もしくは教会
との接触を嫌って仏教や神道だけを信仰するようになったが、現代においても、変質した「カクレキリシタン」の教えを継承する人々がいる。
現在のとくに長崎のクリスチャンは、「キリシタン」を自称せず、そう呼ばれることを好まない傾向にある。