概要
ナチス・ドイツの政府・軍隊の中で、総統ヒトラーに次ぐ№2的位置に存在した人物。政治家としては国会議長、プロイセン州首相。軍人としては航空相、ドイツ空軍総司令官という空軍の長。
経歴
1893年ドイツ・バイエルン生まれ。ゲーリングの父ハインリヒは高位の外交官だったが、自由主義的な思想が煙たがられて早めの退官を強いられ酒びたりとなり、プロイセンの裕福な大地主エーペンシュタインに育てられる。エーペンシュタインは中世の貴族に憧れており、中世風の城で多くの使用人を従えて暮らしていた。ゲーリングはこのエーペンシュタインを父代わりとして尊敬し、彼の貴族趣味と騎士道趣味を受け継いだ。
優秀な成績で士官学校を卒業し、第一次世界大戦から軍人として活躍。最強のエースパイロットとして有名なイケメンだった。
戦後にナチスと出会い、入党。そこで「有名な軍人が入ってきた」と憧れと希望の羨望をうけまくるものの、1923年にヒトラーが起こしたミュンヘン一揆という暴動未遂で負傷してしまい、治療時に注射された麻酔のモルヒネのせいで中毒症状を起こし、最終的にデブになってしまう。
それでも軍事・政治能力は下がることなく、ナチスが政権を掌握するとプロイセンの統治者になって、第二次世界大戦が始まると空軍の航空戦闘力を上手く操って「帝国元帥」とドイツ最高の軍事指導者になる。
しかし、1940年から始まったイギリスへの空軍による侵攻は何度も失敗。挽回の為に挑んだというソ連のスターリングラードの戦いも上手くいかず、徐々に彼の権威は失墜していく。
ついに、敗北寸前の1945年にヒトラーの下から逃亡。連合国に投降し、戦犯としてニュルンベルク裁判を受ける。無罪を勝ち取ろうと検事たちと丁々発止の論戦を繰り広げるも結果、1946年に死刑の判決が下る。
しかし、執行前に秘かに隠し持っていた青酸カリで服毒自殺を遂げてしまう。
遺書によれば「銃殺刑なら甘んじて受ける覚悟はあったが、絞首刑にされるのは我慢ならなかった」との理由であった。
逸話
ルネサンス時代の貴族に憧れ大変に華美な生活を送っていた。好きだったのは豪華な衣装、贅沢な料理、宝石、ベンツやホルヒの高級車、鉄道や車の模型、そしてモルヒネ。
衣装や装身具にもこだわりがあり、本人がデザインしたと噂された純白に金モールをちりばめた軍服をまとい、銀飾りをちりばめたピストルや何種類もの毛皮のコートを身に着けていた。これらは成金的なものではなく大時代な貴族趣味と受け止められ、大衆からはむしろ「憎めない人物」として人気があったという。
美術品好きもよく知られた趣味で、古典美術だけでなく現代美術にも理解を示し、ナチスが「退廃美術」扱いした作品も密かに私物化することで保護した。
狩猟も趣味だったが、あまり動物を殺すことは無く、動物・自然保護を行なったという。
ナチスを象徴する「ハーケンクロイツ」(鉤十字)だが、これは元々は北欧でのお守り「ハカリスティ」であり、スウェーデンを訪問した彼がナチスの宣伝として使ったのがきっかけであった。
ハカリスティはフィンランド軍が自国の兵器にマーキングしており、戦後鉤十字がヨーロッパで禁止された中でもフィンランドでは天下御免でOKである。