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クラースヌイ・カフカース

くらーすぬいかふかす

スベトラーナ級巡洋艦の一隻。クラースヌイ・カフカース級として独立した艦級として扱われることもある。

クラスヌイ・カフカスはロシア帝国で建造された巡洋艦


スベトラーナ級巡洋艦アドミラル・ラザレフ」として1913年に起工するが、第一次世界大戦により建造が遅滞、ロシア革命によりソ連政府が樹立すると「クラスヌイ・カフカス(赤色コーカサス)」に改名した。さらにロシア内戦とその後の混乱により建造はほとんど停止し、造船所内で建造中の姿のまま長年放置されることになる。1920年代になるとスベトラーナ級各艦の建造再開が検討されるが、基本設計の古いスベトラーナ級に追加予算を投じてわざわざ完成させることの意義には疑問がもたれ、予算を出すかどうかで紛糾、最終的に、2隻が高速タンカーに改造、1隻が新型の18cm砲を搭載した重巡洋艦に改設計したうえで完成させることが決定する。そのうち18cm砲を搭載するものが「クラスヌイ・カフカス」で、


その改造の内容はかなり奇妙なもので、船体や機関にはほとんど手を付けずに主砲の13cm砲を全て撤去し、代わりに18cm砲の単装砲塔4基を搭載するというものだった。この18cm砲は20cm砲と同等の重量で20cm砲を上回る有効性を実現すべく開発されていた高初速・長射程の新型砲であり、クラスヌイ・カフカスで試験運用し、その結果が良好であれば新世代の巡洋艦に搭載する予定であった。実際にクラスヌイ・カフカスの後に新造されたキーロフ級巡洋艦では3連装砲塔3基の形で9門が搭載されることになった。

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18cm砲が4門だけというのは繊維の規模に対して少なすぎるように見えるが、これは主砲塔が無駄に高性能((最大仰角が60度もある上に任意の仰角で装填が可能な構造だった(通常は特定の仰角に戻して装填する構造にして装填機構を簡略化している)))で重量効率の悪い構造となっていたためである(一基当たりの重量は190トンあり単装砲塔であるにもかかわらずキーロフ級の三連装砲塔=240トンに近い重量があった)


竣工し最終的に軍に引き渡されたのは1932年のことであり、起工から20年近く経ていた。ほかのスベトラーナ級とは大きく異なる艦容で完成したため、「クラヌイ・カフカス」級として独立した艦級に類別されることが多い。


竣工から間もなく、巡洋艦「コミンテルン」に衝突する事故を起こして艦首を損傷、その修理のついでに艦首部が延長され凌波性が向上した。


主砲が4門だけというの対艦公算射撃に支障が生じる少なさであり、いかにも実験台という性能であったが、独ソ戦ではほとんど小型艦しか残っていなかったソ連黒海艦隊にあって貴重な巡洋艦クラスの大型艦として運用された。第二次世界大戦中のソ連の黒海艦隊の活動は残存艦隊主義的なものに終始しクラスヌイ・カフカスの活躍も、輸送船団の護衛、機雷敷設任務の護衛、対地砲撃、港湾の防空など地味なものに限られ、積極的な対艦戦闘は一度も行うことはなかった。


戦後は1947年に練習艦に類別変更され、1951年に対艦ミサイルの標的艦として使用され沈没した。最期の瞬間は呆気なく、一発のミサイルを被弾した後に船体が二つに折れ、数分で沈没したという。

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