概要
設楽統とは、お笑い芸人の『バナナマン』の片割れ。1973年4月23日生まれ。
日村勇紀とコンビを組む、細い方である。
2012年の番組出演本数ランキングでは、第1位だった。
2013年の番組出演本数ランキングも第1位で、V2を達成。
2014年~2020年までは国分太一や博多華丸に第1位の座を奪われていたが、2021年に再び第1位に返り咲き、2022年も1位で再びV2を達成。しかし、2023年は長年1位を争ってきた川島明、「ぽかぽか」放送開始を機に台頭した澤部佑に追い越され、第3位という結果に。
フジテレビの情報番組、『ノンストップ!』の司会を務めるなどMC業での仕事を数多く持っている。
自他ともに認めるドSであり、自身がMCを務める番組では、出演者に対して容赦なく無茶ぶりをしたりするなどしている。なお、このドSっぷりは学生時代から発揮されていたようで中学3年生の頃に野球部のキャプテンに就任した際には部員から「笑いながら何球もファウルボールを打って後輩に取りに行かせていた」という証言が出るほどだった。
冠番組『バナナサンド』のハモリ我慢ゲームはほぼ負けっぱなしで成功率はたったの1割。
ネットショッピングも苦手で、よく欲しい商品を何個も買ってしまったりしている。
実は、甲殻類アレルギー。若手の頃は食べることができていたらしいが、歳を重ねていく過程で徐々に食べることができなくなっているらしい。本人は、「若い頃食いすぎたのかな…、好きなんだけど食えなくなった。」とコメントしている。
経歴
中学では、生徒会長と野球部のキャプテンを務め、高校時代はバンド活動に明け暮れていた。その後、父親のツテで西武鉄道に就職。同社池袋線小手指駅で駅員として半年間ほど勤務していた。駅員時代は「白線の内側で“伏せて”お待ちください」など、ギャグや小ネタを交えたアナウンスをしたこともあったが、それでも先輩たちは怒ることなく、むしろウケが良く、可愛がられ、女子学生からも「イケメン駅員」として大人気だったという。しかし、この頃から芸能界に興味を持ち始め、退職。半年間のフリーター期間を経て、渡辺正行の付き人として芸能界入り。1993年、知人から「4人でお笑いをやろう」と誘われ、新宿アルタ前に集合。ここで日村と出会い、意気投合。他の2人を見限り2人でグループを脱退する形で「バナナマン」を結成した。1999年、19歳の頃から交際していたバイト先の一般女性と結婚。現在は、20代の娘もいる。
2007年3月18日の『イロモネア』の収録の6時間前 には自らのタバコの不始末から自宅で火事を出した。自室が燃えただけで本人・家族とも無事だったものの思い出の写真や収集していたエロDVDなどの私物はほとんど焼失してしまった。その結果、有吉弘行からは「放火魔」という不名誉なあだ名をつけられた。(しかし、そんな災難に遭いながらも出場した『イロモネア』では「サイレント」にて、なんと燃えても尚起動していた携帯電話を取り出して5人全員を笑わせ、見事100万円を獲得した。その100万円は、日村の気遣いによって全て設楽家のリフォーム代に充てられた。)
エピソード
- 高校時代は当時のバンドブームに乗っかり、ボーカルを務めた。(本人曰く「楽器が弾けなかったから」とのこと。)
- 視聴者参加カラオケ番組「超青春!太陽族」(TBS)への出演経験があり、当番組でチェッカーズの「夜明けのブレス」を熱唱し、「秩父のカナリヤ」と紹介された。後に「恥ずかしい映像」として出された際には相当恥ずかしがっていたことから本人にとっては黒歴史案件であることがうかがえる。
- 学生時代は足が速い方だったが、大人になってから運動をしなくなったせいで走り方が変になっており、「リンカーン」の芸人大運動会ではその走り方を松本人志(ダウンタウン)に「すげー気持ち悪かった」と酷評される始末。本人も後にオンエアを見た際に愕然としたとのこと。それ以来、トラウマとなっており、本人曰く「走りたくない」「できるならモザイクかけてほしい」とのこと。
- 上述のボヤ騒ぎを起こしてもなお、禁煙する気は全くないらしい。
関連タグ
ズルズキン、バート(セサミストリート):設楽にそっくりとよく言われている。