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ソ連運輸局C型電車

それんうんゆきょくえすがたでんしゃ

ソ連運輸局C型電車とは、旧ソ連諸国で運行されていた電車(エレクトリーチカ)である。
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1929年、旧ソビエトにて全国的に本格的な電化が始まるのと併せて製作が開始された電車(エレクトリーチカ)。C型電車というのはキリル文字での表記であり、アルファベット表記ならばS型電車となる。

登場の経緯

1920年代、ソビエト連邦では急激な発展と共に鉄道の線路容量が逼迫され、輸送力の向上が急務とされた。その輸送力向上施策の一環が電化である。電化によって電車や電気機関車を投入し、従来の蒸気機関車列車と比較してスピードアップを図り、輸送力を向上させることがその目的であった。1926年にアゼルバイジャンにて試験的な鉄道の電化が行われ、これは輸送力の向上にまずまずの成果を残した。これを受け、ソビエト各地にて本格的な電化が行われることとなった。これを受けて製造されたのがこのC型電車である。

外見

前面は3面折妻に直線基調でまとめられた質実剛健でシンプルなものである。前期型では旧型国電のような無骨な車体や前面デザインを備えていたのに対し、後期の製造型ではヘッドライトの埋め込みやコルゲート入りの外板の導入等により整った姿となっている。

内装

内装はエレクトリーチカの標準的なもので、ドアは車端部に1つずつ設置された2ドア(前期形は手動式、後期形は自動式)、デッキ付きでデッキと客室間は両開きのデッキ扉で仕切られ、客室には3-3配置の木製ボックスシートがズラリと並んでいる。また、前期型の先頭車には荷物室が設置されていたが後期型では廃止されている。

性能

最高速度85km/h、加速度約0.5m/sで、都市間の中距離を走行する(=速度が出るとその分時間短縮につながる)、かつ多くの駅で停車する(=わりかし頻繁な加減速がある)エレクトリーチカとしてこの性能はあまり高いものであるとは言えない。事実、この低性能ぶりはデビュー後しばらくして問題とされ、後年のСН型やЭР1型の開発においては最高速度・加速性能の向上が念頭に置かれている。

豊富なバリエーション

本車は29年もの長期間に渡って製造されたため、改良型が多く登場しており、バリエーションが極めて豊富である。ここでは、その各型について記述する。

Cв型

1929年より製造された基本型。1934年まで製造された。

Cд型

1933年より製造された改良型。次の様な変更点がある。
・改良型モーターの採用
共産圏の標準型連結器であるSA-3型連結器の採用
・制御機器を改良し、乗り心地を改善
・椅子の改良
1941年まで製造された。

Cм型・Cр型

Cм型は1945年以降、ソ連では従来の1500Vに変わって3000Vでの電化を推し進める事となった。そのため、架線電圧1500Vでも3000Vでも対応できる複電圧車として1946年より製造されたのが同グループである。Cв型およびCд型からこの型へと改造編入されたものも存在した。
Cр型は製作工場が従来のムィティシ車両製作工場と違いリガ車両製作工場へ変更されたため新たな型番が振られたが、大きな変更点は無い。1951年まで製造。

Cм3型・Cр3型

架線電圧3000V化が進んだために1952年製造のこのグループより3000V専用となり、1500V区間での走行は不可能となった。その他にもこのグループでは各部に次のような大幅な変更がなされている。
・従来設置されていた荷物室の廃止
・車体構造を変更、側面へのコルゲートの追加
・前面デザインが変更され、ライトが埋め込まれるなどして旧型国電のような無骨なものから国鉄103系のようなすっきりした顔立ちへと変更された
・ステップの設置による低床ホームへの対応
などなど。
Cм型・Cр型と同じく、Cм3型・Cр3型の違いは基本的に製造工場の違いのみであり、大きな設計変更等はされていない。1958年まで製造。

運用と退役

全部で2877両以上が製造されたといわれている同車は、その非力さにもかかわらずソ連各地の直流電化区間で活躍した。しかし老朽化などのため、後継車に置き換えられて1980年代には大幅な退役が始まった。にもかかわらずソ連崩壊などの影響で活躍は長引き、ロシアでは1997年まで現役であった。ウクライナではなんと2012年まで現役であり、最後まで使用されていた車両(Ср3-1524)はウクライナ・ハリコフの鉄道博物館で保存されている。現在はサンクトペテルブルグ鉄道博物館等の各地に保存車が存在する他、一部の車両は事業用・実験用車両として現在も使用されており、その様子は現地の鉄道ファン向けサイト(こちら等参照のこと)等で確認できる。

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