概要
タルムード(ヘブライ語: תלמוד Talmud、「研究」の意)は、トーラー(律法、モーセ五書)とは別にモーセが残したもう一つの律法とされる「口伝律法」を集大成した書物。
歴史上における実践や解釈も含んでおり、そのため後世のラビの名も本文に見える。6部に分類された63編で構成され、扱われる事例やテーマごとに扱われている。
『バビロニア・タルムード』と『エルサレム・タルムード』の二つの版があり、流派やコミュニティによってどちらに比重を置き、参考にするかが異なる。
トーラーを構成する書には戒律や道徳、古代イスラエルにおける法律や刑罰についての記載があるが、安息日にしてはいけない「労働」の厳密な定義や、死刑の前の手続き等の詳細といった部分について、明言されていない部分も多い。
タルムードが参照する口伝律法には、成文律法にない部分を補完する内容も含まれている。
歴史的に主流派ユダヤ教徒の生活・信仰の基となってきたが、ユダヤ教内でもその認識や扱いは様々である。古い宗派としてはサドカイ派(ナザレのイエスの時代に存在した宗派で当時は書物としての編纂作業はされていない)は口伝律法を否定しており、タルムードの書籍化が成されてから二世紀内に発祥したカライ派も口伝律法を拒否するが、これを採用する側の主流派ユダヤ教の解釈のいくつかには同意する。
「正統派」は主流派ユダヤ教の古い立場を堅持している。
タルムードを学ぶ教育機関を「イェシーバー」といい、宗派ごとのタルムードに対するスタンスが反映されている。
現代日本ではこの聖典の言葉がビジネス関係の啓発本として引用されたり、陰謀論のネタの一つとして扱われているが、ユダヤ社会ではいまも大切な教典であり、ユダヤジョークにタルムードの逸話が用いられることもある。
内容
ラビ(ユダヤ教における宗教者、教義解釈する学者)「そういう本じゃねぇからこれ!」
日本では宝石を扱う会社「三貴」がタルムードの翻訳本を出していたが、巻数はとても膨大で、ほとんどが図書館や大学への寄贈という形で頒布されたこともあり、ほとんどの人は実際に読んだことがない。おかげで、おどろおどろしい魔術書だか、世界支配の陰謀書だか、高遠な人生哲学書か何かと思い込んでる人が多い。
しかし、実際の内容の大部分は、訴訟の方法、家畜や穀物をめぐるトラブル処理のルールなどの古代の民法や商法、律法学者と族長はどっちが偉いか、冠婚葬祭の方法、病気の治療方法や健康法(それも現代の感覚では非科学的)など、実際的・即物的ではあるが、現代の非ユダヤ教徒にとっては実用性が乏しいものが多い。
19世紀初頭に発祥した宗派「改革派」では単に古代文書、歴史文書と見なされており、「聖典」的な拘束力や権威があるとはしていないが、道徳的な指導やインスピレーションの元にはしている。20世紀に誕生した「保守派」は「正統派」と「改革派」の中間のような立場をとる。
書籍としての構成
部(巻)
前述の通り6部構成になっている。刊本においてその部の分け方は後述のミシュナーでのそれに基づいている。
「部」にあたる部分は三貴版では「巻」と表記される。
- ゼライーム(「種」)
- 農業や神殿に捧げる初物、貧者に対する保障、什一税(農作物の一割は神のもの、という観念に基づく「十分の一税」)など。
- モエード(「祭」)
- 安息日や、ユダヤ歴や祭日、祝祭やそこでの規定など。
- ナシーム(「女性」)
- 結婚や離婚についての規定。結婚生活や婚外交渉の疑惑の際の対処法。そのほかの誓約や特別な絶ち物や制約を受け入れて神に仕えるナジル人について。
- ネズィキーン(「損害」)
- 商法と刑法、法廷や裁判についての規定。異教徒および偶像崇拝者(多神教徒)との付き合い方。
- コダシーム(「聖物」)
- 神に対する生け贄や、神殿における財産の奉納や穀物等の捧げ物、動物のと畜について。エルサレム神殿(第二神殿)の寸法についても含む。
- トホロート(「清潔」)
- 宗教的な意味での「清浄(きよめ)」と「不浄(穢れ)」についての規定。
ページ構成
書籍・刊本としてのタルムードは一ページごとに複数の形式の文書が填め込まれたような構成になっている(BBC記事)。
ページのレイアウトについてはBBC記事などを見てもらうとして、ここでは各ページを構成するそれぞれの箇所について記載する。
- ミシュナー
- ミシュナーとは「繰り返しによる学び」を意味する。ラビたちによるトーラーへの注解や議論。「口伝律法」をなす書であり、ミシュナー・ヘブライ語と、一部アラム語で記されている。概念としては「タルムード」とは別であり、「タルムードはミシュナーを収録している」という関係性にある。ウィキペディアでは「Category:ミシュナー」の下位カテゴリとして「Category:タルムード」を入れる事でこれを説明している。
- ゲマーラー
- 「終結」「完了」を意味する。書物いがいでは、伝統を教え伝えて行く事を意味する語でもある。法律についての賢人たちの議論や記録を含む。ミシュナーについて参照し、トーラーのみならず他のタナク(旧約聖書)の箇所からも引用して解説する。
- ラシ
- ミシュナーとゲマーラーの箇所を見た後に目を通すことになる箇所。ラシとは9世紀生まれのフランスのラビShlomo Yitzchakiの通称。「バビロニア・タルムード」のほぼ全体に解説を加えた人物で、彼の解説は1520年代にDaniel Bombergが刊行した版以降、あらゆるタルムード刊本に加えられることになった。
- それ以外の解説
- 10世紀以降の他のラビたちの解説。中世のユダヤ法(ハラーハー)における判例などへの言及を含む。
タルムードの偽引用
実在しないタルムードの構成テキストやその「引用文」が多数捏造されている。
「偽の引用文」じたいは他の古典や偉人の発言でもよくある事なのだが、タルムードの偽引用の場合は、反ユダヤ主義(アンチセミティズム)の流れを汲む点が危険度を加速させている。
具体的にはユダヤ教徒やユダヤ人は、非ユダヤ人を否定しており、搾取、騙しと誤魔化し、略奪、果ては殺人の対象にしてもよい、という内容で、それを「ユダヤ文書」の体裁で記している。
偽引用を信じる反ユダヤ主義者にとっては「邪悪な連中の内部文書」のような塩梅で認識される事になる。
中世ヨーロッパにおける、ユダヤ人がキリスト教徒の子供を攫い、祝祭において生け贄にささげるという凶悪なデマ「血の中傷」とはユダヤ教そのものの性質についての虚偽である点でも共通する。
『仮面をとられたタルムード(Talmud Unmasked)』のようにそれ自体が反ユダヤ主義書籍として成立している例もある。捏造された「引用文」については「魔女の鎚 第二撃」を参照。
「リブル・デヴィッドの書(リッブレ・ダウィード)」のように「出典となるテキスト」が捏造されるだけでなく、テキスト名はタルムード内に実在するが、「引用文」は偽物、という例もあるため注意が必要である。章節番号も捏造してそれらしさを演出しているものもあり油断ならない。
実在する篇の名前で番号つきの引用文があっても、学術書や研究者によるものでない限りは安易に信用せず、ネット公開されている英訳全文でも参照して、実際のある文かどうかを確認したほうがいいだろう。
「よく生きろ。それが最大の復讐だ」
内容としては好意的ながらも、出典不明の引用文が流布している。英文では「Live well. It is greatest revenge.」であり、「立派な生き方をせよ。それが最大の復讐だ。」といった訳され方もある。
『コール・オブ・デューティー(CoD)』といった作品でもタルムードからの引用として登場する。
この文面と一致するのは17世紀イギリスの詩人で聖公会司祭のジョージ・ハーバート(George Herbert)の言葉である。
あるユダヤ教サイト(参考)においてラビは「私はタルムードにこの引用文を帰するのは間違いだと思います」と述べ、タルムードの膨大さと詳細さをあげて自身の記憶が絶対ではないと前置きしたした上で、自分はそれを見たことがないと続けている。
アメリカのドラマWebテレビシリーズ。『ナチ・ハンターズ』(Hunters)にも台詞中にタルムードの文として登場するが、この作品を解説した記事では「”よく生きる”原理(The “living well” axiom)は実際には17世紀ブリテンの詩人である司祭に帰する」と記されている。
関連タグ
外部リンク
Soncino Babylonian Talmud:バビロニア・タルムード版の全英訳