ブック
ぶっく
紙の書籍については本を参照のこと。
1900年代後半の北アメリカ大陸には、NWAをはじめとするメジャーなプロレス団体の他にいくつもの小さな団体、いわゆるインディーズ団体が存在し、各地で独自の興行を打っていた。
そういう団体が、興行の目玉としてメジャー団体のチャンピオンを招いてタイトル戦を行うというのもよくある話であった。
その際、ローカルスター選手と王者との間に大きな技量の差がある、と現地プロモーターが判断した場合、王者側に
「試合は貴方の勝ちで良いから、ウチのスターにも見せ場を作ってやってくれないか」
と持ちかける事もあった。「オラが街のスター選手が世界王者に瞬殺された」とあってはその後の興行に暗い影を落とすことになりかねないからである。これがいわゆる「ブック」のはしりである。
王者側からしたら、「手加減してくれ」という要望は決して望ましいものではなく、
「対戦相手に手心を要求するとは何事か」
と憤慨し、話に乗ったフリをしておいて実際の試合では相手をコテンパンにのしてしまう、といった事も起こった。
こうなると、収まらないのはプロモーター側である。「今後の興行を台無しにされた」として王者側の契約不履行を主張し、試合のギャランティを支払わない等の報復措置を取るというのもザラにあった。
日本でも有名なルー・テーズ、カール・ゴッチといった名選手達に「金に汚い一面があった」というのは、こういう目にしばしば遭わされていたことに由来する。
米ではWWEが最初に「台本的なものはある」と公言して話題となった。これには、「スポーツビジネスではなくショービジネスとして登録した方が税制上有利」「不慮の事故に対し無用な訴訟を避ける」といった意図があった。
ブックはあくまでも興行全体を盛り上げる為のものであり、勝敗を操作し一部の人間が富を独占する違法賭博的な物とは明確に異なる。そもそも、プロレスにおけるブックはレスラーの鍛え上げられた肉体・技術無しには成立し得ない。
以前から、「『プロレスって八百長だろ』って挑発しておけばファンはムキになって突っかかってくるから面白い」という悪意を持った人々による挑発行為が横行していたが、真剣勝負を標榜する団体の活動や総合格闘技の台頭と衰退、笑いをブックやギミックに取り入れた団体の活動を経て、
「プロレスとはそういうもの」
という認識が広がり、魅力溢れるエンターテイメントとして受け入れられた。
さあ、みんなも会場で、中継で、プロレスを楽しもうぜ!