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マルチスタイル大倉

まるちすたいるおおくら

マルチスタイル大倉とは 東京を拠点に活動する 趣味 ローカル志向のシンガーソングライターである。 コンセプトは “独りバンド” と “オールジャンル” キャッチフレーズは “モチベーションが止まらない” 公式略称は “マルチ”
目次 [非表示]

活動開始のきっかけ

2005年

音楽の集まりに参加した音楽好きな青年 大倉佑介(当時21歳)が、その集まりで声を見込まれてボーカルを始める。


2006年

オーディションやライブイベントに参加する等、人前で歌う事に対する経験値を積みながらバンドの結成を目指す。

しかしバンドメンバーを探す中で、脱退、解散、それに従う活動休止でファンが悲しむといった光景を沢山見てきた反動で、それらとは無縁なバンドを結成する方法について考え、悩むようになる。


2007年

その悩みについて“独りバンドをコンセプトとしたシンガーとして活動していく!”という答えを出し、同年4月 渋谷カブトにて本名大倉佑介の名義で活動がスタートし、初ライブとなった。バンドメンバーを探していた2006年にもライブには出演しているが、本人は当時のライブ活動については“個人的にはソロでやると決める前だったから修行のような感覚だった。”として、2007年を正式な活動スタート年としている。


活動名義の由来

マルチスタイル大倉のマルチスタイルとは、その名の通り、マルチには色々、スタイルには形、姿勢という意味があり、オールジャンルスタイルの意味が込められている。初期の頃は本名、大倉佑介の名義で活動していた為、マルチスタイルという言葉は大倉佑介というシンガー アーティストのジャンル名として命名されていた。


しかし、活動開始の翌年からは少しずつ、マルチスタイル大倉、略してマルチと呼ばれるようになり、それから暫くは活動名義を大倉佑介、別名マルチスタイル大倉としていたが、最終的には誰も本名で呼ばなくなった為、2011年に現在の名義であるマルチスタイル大倉へと改名した。

その際、活動名義に対しては、オールジャンルスタイルの意味が込められたマルチスタイルという言葉に本名の苗字である大倉を付け足す事で、色々なスタイルの音楽にチャレンジする、オールジャンルなシンガー大倉という意味が込められいるという設定を後付けしている。


音楽性

アーティストとしてもリスナーとしても、マルチスタイル=オールジャンル姿勢を貫いている。マルチスタイル大倉とCDショップに行った事がある関係者は『色々なジャンルのコーナーを行き来している姿が楽しそうに見えた。』と語っている。尚、マルチスタイル大倉の音楽のルーツはB’zでありつつも、アーティストとしてはB’zとは全く違った路線、音楽性ではあるが、現在のマルチスタイル=オールジャンル姿勢な音楽性のきっかけは高校時代に参加したB’zのライブの開演前にオールジャンルで洋楽が流れていた事がきっかけであった。尚、その時に1番影響を受けた楽曲がリンプビズキットのマイウェイであり、マルチスタイル大倉がラップを多用するきっかけにもなっている。


オリジナル楽曲について

初期の頃は音楽関係の人脈も著しかった為、カバー曲をライブで歌う形式で活動していたが、2009年にトラックメイカーとの出会いを果たし、この頃からオリジナル曲の製作を開始する。(尚、始めてとなるオリジナル曲のオケが完成した楽曲は闇から光へである)当時より作詞と作曲を自身で行い、デモを完成させた後、それをトラックメイカーの元に持ち込み、ミーティングを得てからオケの製作を開始するという、シンガーソングライター形式で楽曲を制作している。これは中学時代から趣味でやっていた為、その成果を試してみたい気持ちがその理由となっている。結果、好評を得て自信に繋がった為、2017年現在もシンガーソングライター形式で楽曲を制作している。また、好評を得て自信に繋がって以降は、マルチスタイル=オールジャンルという事もあり、同名の別バンドのように、楽曲やアルバムの雰囲気やノリがコロコロと変わっている。


ただし、作曲に関してはごく稀に、外部のソングライターから楽曲提供を受ける事や、マルチスタイル大倉が他のシンガーに対して楽曲提供を行う事もある。


一方、詞に関しては2018年現在、提供を受けた経験は無いが、2014年に楽曲提供したto youをセルフカバーした事がきっかけとなり、『誰かが書いた詞の世界観に入りながら歌う事への興味が芽生えたので機会があれば詞の提供も受けてみたい。』と、語っている。


トラックメイカーとのオケ制作については、イメージの膨らませ方が違う者同士が一緒に物作りをするからと、イメージと違ってしまう事には寛大であるが、唯一、手抜きに対しては寛大ではなく、万が一そのような事をされれば勿論怒るとの事。ただし近年は、トラックメイカー側の特性をしっかり理解してからトラックメイカーとの作業に取り組む為、納品されたオケは80%はイメージ通りになっているとの事である。


基本的にはミーティングを終えた後にトラックメイカー側がミーティングの内容を踏まえてオケを1コーラス、もしくはフルコーラスで完成させ、それを聴いたマルチスタイル大倉が、聴く中で思った事をトラックメイカーに伝え、それに対してトラックメイカーも、思った事があればマルチスタイル大倉に対してそれを伝えるといった、意見交換のキャッチボールを繰り返しながら完成していく。尚、そのキャッチボールの中では、ソロシンガーだからこそ、最終的な判断はマルチスタイル大倉が決めるといった事がとても大切にされている。


音楽依存症から脱却し、程よい音楽好きを目指し、その分だけ、色々な事に関心を持つようになって以降は、内容の充実と幅の広さに強く拘りを持って作詞に取り組むようになった事もマルチスタイル大倉の歌詞、作詞活動の特徴となっている。


オリジナル曲をライブで歌うようになった頃は、カバー曲でライブを行なっていた頃からエアギターのパフォーマンスが好評だった事やステージにオーディエンスを招待してエアギターを一緒に弾くといったパフォーマンスのインパクトの影響から、エアギターが一番の代表曲であった。

しかし2ndミニアルバムであるLINK MY SOUL製作の頃からは、楽曲製作に対して、量より質という考え方を強く持ち、その分だけ、ライブの定番や代表曲を変える事を強く意識して楽曲製作に取り組むようになる。その結果、この頃から新曲を発表する度にライブの定番や代表曲が変わるといった現象が起こるようになった。2017年現在も新曲を発表する度にこのような現象を起こす事に成功している。


演奏体制

ライブ活動はオケ流しのシンガーソングライターとして独りでステージに立っている。製作活動の時のみ、サポートメンバーとしてエンジニアとトラックメイカーを迎えるといった形式で活動している。ただしごく稀に、ライブでサポートメンバー=バックバンドと共にステージに立つ事もある。


人物

1984年3月14日生まれ、身長178cm、体重65kg、血液型A型、鳥取県出身、本名及び初期の活動名義は大倉佑介である。


ローカル志向であっても年齢を包み隠すアーティストは多いが、マルチスタイル大倉の場合は包み隠さない主義であり、30代以降のライブ活動のMCでは一例として『33歳です!そんな僕が次に歌う曲は若い頃、つまり全盛期に作った曲です!ハハハ(笑)』と、実年齢をネタにする事がある。


普段は温厚で穏やかで優しく、真面目である。音楽活動ではサポートメンバーやファン、ライブハウスのスタッフの意見や要望も柔軟な姿勢で聞いて、その上で自分はどうするか?どうしたいか?を決めるといった事が出来るくらいに、とても柔軟で穏やかである。特に今後の製作活動でチャレンジする音楽ジャンルに関するリクエストは、本人がオールジャンルスタイルである影響から、逆に本人が質問する事もある程に柔軟である。



ソロ体勢である事や、だからこそ自分自身がリーダーであるという自覚 意識を強く持っており、本人も職業を聞かれた際は、本職については普通にドライバーと答えているが、副業と趣味である音楽活動については、マルチスタイル大倉のリーダーと答えている他、自分がリーダーだからこそ、人の意見や要望は聞くけど、最終的にどうするか?どうしたいか?は自分が決めるという事に拘りを持っている。



普段は温厚で優しいと評価されているが、マルチスタイル大倉の音楽活動に関してこのような考え方を強く持っている影響もあり、2012年頃、出演したライブハウスの店長がマルチスタイル大倉のメンバーを名乗り、更には本人の許可なくマルチスタイル大倉のスケジュールを決める等、マルチスタイル大倉の内部に許可なく入り込む事をした際には、その店長に対して激しく怒鳴り『二度と俺に近づくな!近づいたら訴える!』と、厳しく言い放ち、そのライブハウスにマルチスタイル大倉が出演しなくなるといったトラブルが生じたというエピソードがある等、音楽活動に限らず、怒ると怖い、悪意のある者、間違っている者に対して厳しく叱る、言う時には言うといった、正義感が強く、プライドが高い一面を持っている。



このような性質の影響から、長く活動しているローカルアーティストのライブ活動にありがちな馴れ合い(予定されているライブの大半を仲良しなアーティスト同士で周り、出演する事)を非常に嫌い、アウェイ戦を主体として、その都度の集大成としてホーム戦的なライブを行うといったライブ活動を好んでおり、仲の良い親友の定期イベントであっても程よく距離を置いたペースで出演している。本人曰く『自分、グループアーティストの人達は自分達だけで知らない人の心を掴むぞーって意識を持ってライブ活動に取り組まないと強くなれないし良くもなれない。やっぱり攻めなきゃと思ったのです。』と語っている。同時に『独りでステージに立つ事を寂しいと言うソロのアーティストさんもいるけど、僕はソロ体勢ならではの状況をポジティブに捉えて楽しむべきだと思う!』『ソロを楽しまなきゃソロでやってる意味がないと思う!』と、語っている。


このような行動力やモチベーションの高さもまた、マルチスタイル大倉の武器、魅力、特徴となっている。


ライブ活動において、この様なスタンスを取っている事に対して本人は『気付いたら自然と、この様なスタンスを取っていました。いち人間として、ベッタリした距離感での交流が苦手で、程よい距離感での交流が自分に合っている事が影響していると思います。』と語っている。



活動スタイルと活動ペースについて

活動初期の頃はプロ志向であったが、音楽や歌の楽しさに感動した事を理由に就職し、趣味志向へと転換した。しかし、音楽以外に夢中になれる物が無かった事から、重度の音楽依存症に陥ってしまい、プロ志向が抜けきれていない、プロ志向と誤解される位のハードスケジュールによる活動を展開していた。


そんな状況に2013年頃から悩むようになり、音楽依存症からの脱却を目指して少しずつアクションを起こすようになった。そのアクションの影響は2015年に制作が開始され、2017年に2枚同時リリースされたシンとピエロで歌詞の幅が広がるといった形で反映され、同作は歌詞の面でも大きな好評を得た。

2016年3月、諸事情により、具体的な部分は伏せた上で、音楽以外の部分から、大切な物が見つかった事と、その影響で音楽依存症から脱却出来た事を公言し、それを理由に、2018年2月17日(土)に開催される主催イベントを最後に、マルチスタイル大倉の音楽活動からプロ志向の要素を完全撤去する事を発表。以降は程よい音楽好きとして、スローペースによる活動を展開している。


見た目、ファッション的な特徴

サングラス、襟足長めの黒髪ヘアスタイル、カラーパンツ(特に赤)と、その組み合わせからくる面白怪しい雰囲気がトレードマークであるが、アーティスト写真やリリース作品のジャケット写真ではその時のコンセプト次第では私服、もしくは私服のような雰囲気の衣装を着用する事もある。ヘアスタイルについてはコロコロと変わっているが、カラーについては自身のファッション的な拘りを理由に黒髪主義を公言している。



トップスに関してはその都度、着ているモノが違うが、FREE CITYというブランドのタンクトップを着用して出演したライブで衣装を派手に突っ込まれたという出来事があって以降、マルチスタイル大倉に対してFREE CITYがトレードマークというイメージを持つ人もいる。本人もそのイメージを求められている事を自覚していた為、その都度、FREE CITYの衣料品をマルチスタイル大倉の衣装として購入していたが、購入し、着用し続ける中でお気に入りのブランドとなり、プライベートでも着用、トレードマークになっている事が公言されている。



その一方で、マルチスタイル大倉として衣装が奇抜化した反動で、プライベート及び、SNS等に投稿されるオフショットでの服装は、上記にあるFREE CITYの洋服を着用している時を除いてはシンプルなスタイルが多い。


2017年頃より、ビーガン、マクロビ、オーガニックに関心を持つようになり、私服、音楽活動での衣装、共に、無理の無い範囲、ペースで、オーガニック衣料品を購入、取り入れを行うようになった。尚、オーガニック衣料品の中で1番に購入、着用の頻度が高く、リスペクトしているブランドがnudie jeansである事がイベンターであるジュークボックス氏との対談で公言されており、こちらのブランドもFREE CITY同様、マルチスタイル大倉のトレードマークになる事が予想されている。



ライブパフォーマンスの際のマイクは、時々右手で持つ事もあるが、基本的には左手で持っている。これは右手で持っている歌い手が多いので、左手で持った方が見た目的にもインパクトがあるのでは?と、本人が判断した為である。また、時々右手で持つのは、歌っている途中で自身の心身が力んだ時はマイクを右手に持ち替える事で落ち着くからと語っている。



マイクスタンドを使って歌う事は苦手であるとしていたが、2017年に手を負傷した際のスタジオ練習で使い方や持ち方を細かく工夫しながらマイクスタンドを使ってみたところ、本人にとってマイクを持つ手の負担が軽減されたように感じた事やその時の感覚が心地良かった事がきっかけで、以降はマイクスタンドを使って歌う姿をライブで披露する事も増えた。


2014年以降、古くからマルチスタイル大倉を知る人達からは、以前よりも痩せた事を指摘されるようになる。これは、ハードなツアー生活を送っていた影響ではなく、2013年4月6日(土)開催された当時のツアーファイナルの集合写真に写っていたマルチスタイル大倉自身が太り過ぎており、その写真を見た本人がショックを受けた為、“次のツアーファイナルの集合写真ではカッコ良く写る!”と、誓い、ダイエットを開始した事がきっかけである。



影響力

ノリの良いパフォーマンスは活動初期の頃から、知らない人も巻き込む位の影響を持っていた。活動初期から暫くはノリの良いパフォーマンスのイメージばかりを持たれていたが、マルチスタイルだからという理由で、そんな状況に本人が危機感を覚えた事で製作された3rdミニアルバム シンのリリース以降は、本人の歌唱力の上昇や声量の影響もあり、バラード系の曲をしっかり聴かせる事も出来るといったイメージも定着し、ファン層が拡がる、ライブでバラードを求められる事が増える等して、大きな影響を与える事に成功している。2015年以降は音楽以外の事にも積極的に取り組むようになった影響で歌詞の幅が広がり、歌詞を知りたいというお問い合わせが沢山届くようになる等、歌詞に関しても大きな影響力を与えている。


また、ミュージシャンとして活動する人達から楽曲制作に関する相談や質問を受ける事も多い等、同業者に対しても大きな影響を与えている。



主な使用機材

ライブでは機材は使用せず、制作活動の際のみ、機材を使用している。これは本人が機材の持ち運びを面倒くさがっている事、盗難を恐れている事、何よりもライブでは暴れたいと思っている為である。


マルチスタイル大倉の私物としてはギブソンレスポールを2本所有しており、うち1本はカスタムショップ製の高価なギターであるが、メインで使用しているのはその半額で購入したレギュラー製のレスポールである。4thミニアルバム ピエロに収録されているNo.120920382はこのギターへの愛を歌ったラブソングであり、タイトルはギターのシリアルナンバーである。


また、カスタムショップ製のレスポールは58年のリイシューであり、メインギターのレスポールのサブギターを探していた際に購入した物である。メインギターが壊れた時もギターが弾けるようにしておきたいという理由でサブギターを探していた為、サブギターもレスポールになったのは偶然である。サブギターではあるが、4thミニアルバム ピエロの製作の際にはこのギターがアルバムの細部コンセプトの確定に貢献した為、この時期だけはサブギターではなく、メインギターとして使用された。


上記2本のレスポールの他には、Martin D-28も所有している事が公言されているが、レスポールとはは使用する理由や事情が大きく異なっており、2020年8月の段階では、今はまだ、その詳細を話せないとの事。


一方、フェンダー系のサウンドを使用する際に関しては大半がトラックメイカー氏のジャズマスターを使用している。尚、このジャズマスターはJapan製である。



コンセプトツアー

これまで複数のコンセプトツアーを開催しており、また、コンセプトツアーが無い時もライブ活動は行われている為、コンセプトツアーとそうでない時の差別化を意識しながら企画、制作されている。コンセプトツアーの種類は大きく分けると大型コンセプト、小型コンセプトの2種類になり、以前はどちらも、ライブワールドと表現されていたが、大型の方は数年に一度の開催になった為、2017年のWツアー以降はライブフェスティバルと表現されるようになった。


また、マルチスタイル大倉自身はライブフェスティバルではベスト選曲ではなく、新曲やニューアルバムを主役にした内容を企画する事が多い。本人曰く、必ず新曲やニューアルバムのツアーでなきゃいけないというルールは無いが、出来るだけ新曲やニューアルバムのツアーにしたい想いは確かにあると語っている。数年に一度のペースになった2014年以降、主催イベントはライブフェスティバルのツアーファイナルのみというルールが設定された。また、小型コンセプトツアーの中には新曲視聴会をイメージした、全曲新曲でセットリストを構成するツアー、新曲暴投祭ツアーがシリーズ化しており、これまでに五回開催されている。



ライブ活動について


当記事では、マルチスタイル大倉のライブ活動の種類について記載、解説。いずれのライブでも、



『色々な場所でライブがしたいし、各地に待ってくれてる人達が居る!』


という理由から、2021年以降は特定の会場を拠点としたライブ活動は行っておらず、基本的にはライブハウス、クラブ、バー等、色々な環境でライブを行っている。



その為、出演オファーの規約においても、頻度の高いレギュラー出演やホーム戦のオファーを禁じており、同時にマルチ自身はそのタブーを、マルチ本人や運営から注意されてもしつこく行ったライブハウスやイベンターに対しては、怒る、容赦なく縁を切るといった一面を持ち合わせている。本人曰く『何度もされると当然怒りといった感情は芽生えますが、不信感や悲しい気持ちも芽生えてしまいますし、そういった人達に関わり続ける事って僕の事を理解した上で待って下さっている方々に対しても失礼だと思うんです。』との事。



この様な事情から、自分勝手な者からのオファーは拒み、縁を切ってしまうが故に、人間関係的な部分に関して言えば何処でもライブをするといったタイプには該当しておらず、居心地の良い人間関係を意識しながらライブ日程を組んでいる。



また、良好な人間関係を意識する性分の影響もあり、逆にマルチ自身がエントリー申請や問い合わせをする際も、相手側に対する配慮や気遣いを最大限意識しているとの事である。



【通常ライブ】

コンセプトツアーが無い期間に、事前に告知される形式で開催されるライブの事である。

【ライブワールド】

ツアー期間が短い等、小さなコンセプトツアーの事を指す。以前は大きなコンセプトツアーもライブワールドという名称で開催していたが、何年かに一度のお祭りという形で開催される様になった為、ライブフェスティバルという名称が与えられた。以降、ライブワールドでは、無理に主催イベントを打たない等、リラックスして臨める箇所が、敢えて設けられている。

【ライブフェスティバル】

ロングツアーである事を始めとした大きな何かを含ませたツアーの名称。2020年現在までに4回開催されている。以前はライブワールドの名称で、大きなインターバルを開ける事なく開催されていたが、2014年以降、制作に対する価値観が、量やペースが早い事よりも質を重視するスタイルになった為、何年かに一度の開催になる事から、それをイメージさせる名称にしたいという理由により、4回目となる2017年開催のWレコ発ツアー以降の大きなツアーにはライブフェスティバルという名称が与えられた。マルチ本人は以降、それまでの大きなツアーの全てをライブフェスティバルとして振り返っている。ツアーファイナルは主催、ロングツアーである事、など、かなりの気合いを入れて臨まなきゃいけない、音楽活動の中では1番大変なプロジェクトである。

【ライブゴーゴー】

ライブ当日の直前~数日前に、突如開催が決まる突発的に生じるライブの名称。2011年ごろ、突発的に生じるライブのオファーが増えた為、その様な形式で行われるライブに対して、ライブゴーゴーという名称が与えられた。

告知については『本数が多い時は多い為、その都度の突然の告知は見て下さる方々を振り回す事に繋がる!』というマルチ本人の判断により、“突然のライブ活動にご理解下さる方のみご観覧下さい”という前置きを付けて設けられたライブゴーゴー専用の告知ボードのみで行われている。

2014年頃より、長らく開催されていなかったが、2019年頃に当日にエントリーしても問題が無いオープンマイクイベントが充実している事をマルチ本人が知った事により、オープンマイクへの出演を主体とした形で再開された。

名称の由来は、突然、イケイケゴーゴーのノリで決まるから!といったモノである。


2022年夏にはオープンマイクツアーという形式で、初となるツアー形式で開催された。

【マルチ主催】

マルチが主催するライブイベントの名称。一時期はイベンターとして活動していた時期もあったが引退した為、現在はアーティスト主催のみ開催。3つのイベントが存在。



出演オファー規約においては、どのイベントも、ライブ会場側からの開催オファーは禁止としており、本人や運営から注意されてもしつこく開催オファーを行ったライブ会場に対しては、マルチ自身も怒る、縁を切る等、容赦無い一面を見せる。この様な事情から、その時のマルチに見合った会場にホールレンタル申請を行い、その際に会場側と無事に意気投合が出来れば開催するといったやり方にて、スケジュールを組んでいる。


この様に、主催イベントでも人間関係を大切にしたスケジュールの組み方をしている為、イベント当日は会場のスタッフ(特に店長またはマスター)が大人気となる現象が起こる事も多々ある。

~マルチスタイルフェスティバル~

アーティストとしてのマルチが主催するイベント。マルチがトリを務める事が絶対必須であり、ライブフェスティバル型ツアーのツアーファイナル等、大切なタイミングで開催される事が多い。

~コンビネーションアタック~

2011年、当時ホームとしていたライブハウスの店長と共催イベントを開催した事がスタートのキッカケになった。イベントタイトルの由来は、当時ライブの代表曲であったコンビネーションアタックに肖ったという単純なモノ。

~LINK MY SOUL~

パーティーマルチがイベンター時代に開催された、マルチがトリを務めないイベント-絆-の進化系かつ単独主催バージョンをイメージしたイベント。イベンターチームでブッキングマネージャーを経験した者としてのスキルを活かして、関わって下さる皆様に何かを届けたい!という想いから立ち上がった、縁の下の力持ちとしての主催イベントである。主催者の体勢や細かい部分が当時とは大きく異なる為という理由により、イベント名は一新された。

尚、そんなマルチの想いを届ける、届けたいという点は、LINK MY SOULの歌詞と共通している事、LINK MY SOULが人気の楽曲である事から、その人気に肖る形で、イベントタイトルが決定した。絆との違いは、単独主催である事、イベントタイトル、マルチの主催がトップバッターに固定された事である。



その他エピソード

※音楽を聴くようになったのは中学に入ってからである。きっかけはそれまでテレビゲームや外でサッカー等の身体を動かす遊びばかりをしていたマルチに対して“もう中学生なんだから音楽を聴きなさい!”と、親に言われた事がきっかけであった。当初はJPOPのCDを適当に買い漁り、普通に音楽鑑賞を堪能していただけであったが、B'z好きの友人の影響でB'zが気になり、ねがいのシングルCDを購入した際に衝撃を受けた事で後にライブビデオも購入。舞台裏のドキュメントも収録されていた事が、裏方、表方問わずで、少しずつ音楽に携わる事に興味を持つきっかけになった。この頃より、趣味で作詞作曲も始めるようになるが、当時のマルチにとっての一番の関心は表方なのか?裏方なのか?といった部分に関してはこの頃より暫く、答えが出せない状態が続いていた。


※上記エピソードの影響や、高校時代にファッションに対する関心が芽生えた影響で、高校時代より、都会で自立していく事を目標とするようになった。本人は当初、行き先を東京と大阪とで悩んでいたが、最終的には東京を選んだ。本人の周りの人達曰く『アイツは中学時代の修学旅行で初めての東京を経験した時の感動をずっと引きずっていたから東京を選ぶと思っていた!』との事である。



※ファッションに夢中になっている時に“そんな暇があるなら音楽活動に集中して!”と、クレームを言われた事があるが、それに対して“音楽とファッションはリンクしている!それを楽しまないのは勿体無いと思う!”と、持論で反論しており、以降はこのようなクレームが入る事は無くなった。



※趣味の中にあるファッションについては、高校時代、義務教育を終えてからは初となる都会=大阪にて、B'zのライブを初体験した帰り道、始めて古着屋に入り、その雰囲気に感動しつつ、Tシャツを3枚買った事が芽生えたきっかけである。それまではよくある “お母さんが買ってきた服を何の疑いもなく着るタイプ” であった。尚、このエピソードは2月17日(土)下北沢MOSAiCにて開催された活動10周年記念ライブの際に配布された読み物の中でも語られている。



※2005年に音楽の集まりに顔を出した際に声を見込まれているが、その際にマルチは中低音域の色気が魅力という個性を指摘され、低音域のトレーニングを叩き込まれている。本人は後に当時の指摘やトレーニングは今でも役に立っていると振り返っている。この事がきっかけで、自分が一番興味があるのは裏方か?表方か?と、いった長年の自問に対して、歌いたい!という答えを出せた事でボーカルを始めた。最終的にはイベンター、ブッキングマネージャーとして裏方も経験しているが、音楽については歌が1番好きであり、やりたい事でもあると気付いた為、裏方は2013年4月で引退している。



※怒ると怖いといった一面について本人は『普段は我慢強く、滅多に怒らないけど、その分だけ、怒ると怖いって言われるし、沢山我慢してから怒りが爆発してしまうタイプなので、怒った相手に対してはどうしても根に持ってしまうんです。そうなると、その人の前では冷酷な性格に豹変してしまうし、和解も不可能になってしまいます。それって悲しい事じゃないですか?だからこそ、怒らせるような事をしないでくれたら嬉しいです。』と、語っている。



作品

2009年11月リリース

FREND-デモMD-

10枚限定 無料配布


2010年9月リリース

1st Single

SUMMER BEACH/HOME〜戻れる居場所〜/闇から光へ

※全A面Single


※上記2作品は本名大倉佑介の名義の際にリリースされた。


2012年9月21日リリース

1stミニアルバム エアギター


2014年4月リリース

2ndミニアルバム LINK MY SOUL


2014年11月リリース

1st LIVE DVD

マルチスタイル大倉 LIVE DVD 2014

LINK MY SOUL


2017年5月リリース

3rdミニアルバム シン

4thミニアルバム ピエロ

※2枚同時レコ発ツアー期間中のみ、ボーナストラック入りセットアルバム W〜シンとピエロ〜としてリリースされた。


主な代表曲

エアギター

2009年度に製作され、2010年に開催されたオリジナル曲ツアー、大倉佑介 ライブワールド2010super attack project〜絆〜 初日のオープニングで衝撃的な初披露となったミクスチャーナンバー。2009年秋、ミクスチャーというジャンルで自己紹介、もしくは自分自身を主題にした楽曲を作りたいと思っていた時期のライブで、活動初期の頃から定番だったエアギターのパフォーマンスが改めて喜ばれた事がきっかけで、タイトルをエアギターにする事を決意した上で製作された。ライブで歌う機会が少なくなった2014年以降も当時からのファンによって語り、歌い継がれている、絶対的な代表曲である。ライブでは最後の最後に演奏される事が多い。



LET GO!!PARTY TIME

ワォ!の掛け声でお馴染みのラテンナンバー。元々はキャンプファイアで皆んなで気楽に歌える楽曲を‥というイメージで制作された。ワォ!の掛け声については、本人が無意識のうちにデモに吹き込んでおり、トラック完成の際にトラックメイカーからワォ!の掛け声が良い!と、言われた事で初めて掛け声に気付いたとの事。つまり偶然生まれたモノであって、拘って工夫した中で生まれたモノではなかった。尚、本人は、パーカッションソロを取り入れる、皆んなが気楽に歌える事など、シンプルで分かりやすいラテンといった部分に強く拘り、工夫したとの事である。



前進シャウト

マルチスタイル大倉が先輩ミュージシャンがリーダーを務める音楽チーム チームトップウォーターから提供を受けた楽曲。メロコアナンバーで2011年に初披露。2012年頃より、ライブでこの曲を歌う時にサークルモッシュが生じるようになり、ほかの楽曲でもサークルモッシュが生じるきっかけになる等、大きな影響をあたえた。外部のソングライターから提供を受けた楽曲の中では1番の代表曲である。


イケイケゴーゴーマーチ

2014年に初披露。2013年頃、対バンで仲良くなった高校生の子がディズニーランドに行くとTwitterに呟いていた際、マルチスタイル大倉は修学旅行がディズニーランドだった事、その際にパレードが印象的だった事を思い出し、我流でマーチをやってみようという事で制作された楽曲。サビのメロディは幼稚園児の頃によく歌っていた謎のオリジナル曲がマーチっぽいという理由で、その時のメロディが採用された。マーチという事でライブでは行進型のサークルモッシュが生じている。


ボクノセカイ、キミノセカイ


LINK MY SOUL


愚者に手を


LOVE FIGHTER


ピエロ


No.120920382


キャンディー坊やの歌

2016年初披露。みんなでキャンディーと叫ぶ箇所がある、ライブではマルチスタイル大倉がキャンディー坊やになりきってキャンディーを配るパフォーマンス、キャンディー坊やが好きなのも、ライブで配られるのものど飴という渋い設定のインパクトは大きな破壊力を発揮し、一時期はその他の代表曲をマイナー曲に降格させてしまうのではないか?と、不安視される程、その破壊力は半端なかった。尚、楽曲や歌詞のモチーフとなっているのは、とある日に、マルチスタイル大倉が親しい仲間とのど飴を舐めながら雑談していた時の出来事や会話の内容を参考、モチーフにして作られた作り話である。音源は4thミニアルバム ピエロに収録。


ボーカルレコーディングではラストサビのラストでキャンディー坊やに元気を貰った人達の喜びの声を表現すべく、複数のテイクを重ねて収録。その際、ピッチのズレをエンジニアから指摘されたテイクもあるが、『元気を貰った人達は性別も年齢も声質も違うし、歌をやってる訳じゃないから、ピッチの悪い人がいても不思議ではない。そういった部分も表現したかったのでワザとズラしたんです。』と説明して『なるほど!』と、納得させたと言うエピソードがある。


また、マルチスタイル大倉がボーカルを始めた頃、『ピッチをワザとズラす人も中にはいるんだよ!』と、教わっており、当時はその話が信じれなかった為、ボーカルレコーディングが終わった後は『そんな10年前の僕が、10年後の僕がワザとピッチをズラしていると聞いたらビックリするだろうなぁ。』と、思わずボヤいてしまったとの事である。


W〜光と影〜

マルチスタイル大倉 ライブフェスティバル2017 W シンとピエロ 2枚同時ツアーのテーマソング 兼 CMソング。2枚のミニアルバムは、諸事情でツアー中のみ、2枚を1枚に纏めたセットアルバムという形式でリリースする事が2014年には決まっており、その際にセットアルバム限定でボーナストラックを収録したら面白いのでは?と、いったアイデアが閃いた事がきっかけで製作された。その為、音源はWレコ発ツアー期間限定リリースである マルチスタイル大倉 セットアルバム W〜シンとピエロ〜 のみに、ボーナストラックとして収録されている。また、CMと音源とでは歌詞とアレンジが異なっている。その理由についてマルチスタイル大倉は『CMと音源の違いをあえて作る事で、両方を比較しながら楽しめるといった状況を作りたかったんです。また、作詞の際に音源の方で使う事を諦めた言葉に対しても、未練が大きくて、CMと音源で歌詞とアレンジを違うモノにしようと決めました。』と語っている。Wレコ発ツアーでは登場曲としてこの楽曲が使用された。このように、レアトラック志向を意識して制作された為、ライブでは歌う機会が少ないが、CMの反響が大き過ぎた為、代表曲と呼べる楽曲となった。



外部リンク

公式サイト

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