1893年、ヨハン・ライヒハートはバイエルン王国で生まれた。
ライヒハート家は8世代にわたる死刑執行人の家系であり、叔父のフランツ・クサーヴァー・ライヒハートなどを始め、多くが同様に死刑執行人であった。
ヨハンは死刑囚に苦痛を与えないように注意を払い、その生涯で3000人以上の死刑に携わったとされる。これはフランス革命期のパリの死刑執行人であったシャルル=アンリ・サンソンをも上回る人数である。(サンソンですら、処刑した人数は2700人以上とされており、3千人は超えていない。)
言い換えればそれだけ、ナチス体制下のドイツでは反体制派と見做された人物に対する死刑判決が乱発されていたことになる。