概要
地理について研究する学問。自然地理学(自然科学としての地理学)、人文地理学(人文学、社会科学としての地理学)の両分野に分けられる。
自然地理学は水文学や植生地理学、気候学などの分野があり、気象学や生物学、地質学、生態学などとの関係が深い。
人文地理学は経済地理学や社会地理学、政治地理学、歴史地理学、都市地理学、交通地理学などの分野があり、経済学や社会学、歴史学、政治学などとの関係が深い。
歴史
「大地を記述するもの」(geography)としての地誌学・地理学は人間世界が始まって以来あったと言っても良いが、現代地理学に繋がる研究としては、まず18世紀のフンボルトが挙げられる。彼は南アメリカ大陸の生態調査旅行の結果を地図を利用して可視化したり、人々の生活と地理的環境の結びつきを論じたりした。「空間」を重視するこの研究方法が、人文・自然問わず地理学の根幹となっていく。
19世紀になると、当時の欧州諸国の植民地拡大を背景に、地理学は学問としての重みを増していく。例えば、植生調査や物産の調査は、探検隊を送りこむ口実ともなったし、そもそも地誌研究自体が植民地知識の蓄積、という面を持っていた。
一方、この時代の地理学の大きな対立軸となったのが、自然決定論と環境可能論の対立である。大ざっぱに言えば、自然決定論が人間の社会は地理によってその社会・政治体制・歴史的な進路を決定される、と主張したのに対し、環境可能論は,あくまでも人間は地理に働きかけて、その可能性を引き出すだけだ、と主張した。前者の代表的な論者がドイツのラッツェル、後者の代表的な論者がフランスのヴィダル・ド・ラ・ブラーシュであったことから、ドイツ学派とフランス学派の対立としても語られている。
しかし、地誌を中心とした地理学の手法は、20世紀前半から批判を受けていく。すなわち、「あまりにも記述的であり、なにも解明していないのではないか」という批判である。これを背景に、さらに第2次大戦前から思潮としてはあった空間配置の研究(例えばクリスタラーの中心地理論や、チューネンの農業地域と地価・中心地との距離の研究)も受けて、1960年代ごろから地理学に数理的なモデルが導入された。これをいわゆる計量革命という。
数理的に距離や社会を変数に変換して空間を構築・分析しようとする数理モデルは、現代でもGISや統計データの研究において、地理学で大きな役割を果たしている。一方、数理的モデルにあまりにも傾倒しすぎた反動も起こった。例えば、そもそも空間が人間にどのようにとらえられているのかを人文的な手法でモデル化しようとする場所論的な研究が発展した。メンタルマップによる都市構造の分析、レルフによる「場所」と「空間」の理論化などはその例である。
また、社会と地理とを結び付けようとする研究も登場した。例えば、「時間」に注目して人々の移動と役割との関連を研究したヘーエルストランド,都市への投資による物理環境の構築とそのための資本の回収という観点から経済と地理・階層分化の繋がりを論じたハーヴェイやスミスなどが挙げられる。
加えて注目すべきは、政治地理学の発展である。人文主義や数理モデルの導入を踏まえ、例えば選挙時の投票行動とその地域性を「社会」以外の変数として見出そうとする研究、「境界」管理と移動に焦点をあてた境界研究(ボーダースタディーズ)、語りやメディアを通じて国際政治や一般人の「地理」認識が形成されていく様に焦点をあてた研究など、いわゆる古典的な「地政学」に留まらない研究が登場している。
さらに日本では、「ブラタモリ」の人気を背景にフィールドワークや地形を読み解く研究への関心も高まっている。