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弁論術

べんろんじゅつ

「弁論術」とは古代ギリシャ時代、アリストテレスによって書かれた弁論術(レートリケー、レトリック)についての著作。また、その著作に書かれた説得の技術のこと。
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概要編集


弁論術の歴史を論じる際にまず名前が挙げられる古典の傑作であり、古代ギリシャのみならず、キケロをはじめとして古代ローマ(共和制ローマ、ローマ帝国)や、その後の欧米諸国の政治文化・演説文化に大きな影響を与えた。



レトリックの意味編集

レトリック(レートリケー)は、現代日本においては「修辞学」と訳され、単に言葉を飾り立てるだけの技術ばかりが注目されがちだが、アテナイをはじめとする古代ギリシャにおける元々の意味は、議会、法廷、公衆の面前などにおいて、聴衆を魅了・説得する、あるいは押し切るための、実践的な「雄弁術」「弁論術」「説得術」であり、アリストテレスがこの書で論じているのも、まさにその意味でのレトリック(レートリケー)である。


なお、このレートリケー(弁論術)は、元々はシケリアの法廷弁論として発達したものであり、その創始者・大成者は、コラクス及びその弟子のテイシアスとされる



プラトンによる弁論術への批判編集


アリストテレスの師であるプラトンが、弁論術に対して批判的な見解を持っていたことはよく知られており、それは彼の著作である『ゴルギアス』や『パイドロス』等で、明確に述べられている。


『ゴルギアス』において、プラトンは、弁論術は本来「人々の魂(知見)を善くする(ことで国家・社会全体を善くする)」ことを目的としているべき「政治術」の一部門である「司法・裁判の術」に寄生しているものであり、対象に対する知識・技術を持ち合わせないまま、人々の短絡的な「快」につけ込んで無知な人々を釣り、真実や魂を善くすることから彼らを遠ざけ、その目を覆い隠してしまうだけのものであり、ただの「熟練の業」に過ぎず、醜く劣悪なもので、技術(テクネー)と呼べるようなものではなく、「化粧法」「料理法」「ソフィストの術(詭弁術/論争術)」と並んで「迎合 (追従/へつらい)」と呼ぶべきものだとして批判している。



また、『パイドロス』においても、プラトンは、弁論術が、対象についての真実を知らないまま、相手の魂を事物の真相から逸らして誘導していくことを目的とし、相手がどう考えるかばかりを追求していくだけの、「言論(ロゴス)の技術(テクネー)」と呼ぶに値しないものであると批判する。一方、それとは対照的に、定義・綜合・分析(分割)を備え、雑多な情報から対象のただ1つの本質的な相を導き出していける弁証術(弁証法、問答法、ディアレクティケー)こそが、真に「言論(ロゴス)の技術(テクネー)」と呼ぶに値するものであると述べている[5]。彼が対話篇で描く「弁論家・ソフィストたちを論破するソクラテス」というモチーフは、全てその「小手先の弁論術に対する弁証術の優位」を表現するためのものである。


さらに、プラトンは、その弁証術(ディアレクティケー)を通じた真実の把握は、「並々ならぬ労苦」を伴うものであり、それがたかだか人間を説得するという「矮小な目的」の下になされるべきではなく、「神々の御心にかなうように」、すなわち「純粋に真実を恋い慕い、より善い魂を成就する[6]」という「大きな目的」の下になされるべきであると説き、弁論術(レートリケー)という営みそのものを拒絶・破棄している。




アリストテレスの反駁編集


それに対して、アリストテレスは、プラトンのように「弁論術そのものを拒絶・破棄する」ところまではいかず、弁論術を弁証術と相通ずる技術(テクネー)として認めている。ただし、基本的な構えとしては、上記のプラトンの考えを継承しており、従来の印象操作的・扇情的な部分ばかりが強調されてきた指南書を批判しつつ、それらとは一線を画し、説得推論(つまり論理的に話すこと)を技術の中心に据え、バランスがとれた形で弁論術(レートリケー)に関わる全体像を描き出し、秩序立てようと努めている。




わかりやすく言うと、弁論術とはなにか?編集



簡単に言うと人を説得するスキルのことである。ただし、真理を追究するようなやり方として使うだけでなく、人を扇動したり、人を騙す際に使われてもいるのが現状である。近年のインフルエンサーはみなこれを使って、大衆から支持を得ている。まさに、古代ギリシャ時代にソフィスト(ひろゆきみたいな人)達が民衆から絶大な人気を博したのと同様である。(史実ではゴルギアスは一回ライブ配信みたいなことをするだけで、軍艦2隻を購入できる大金を得たとか)



なお、中世ヨーロッパでは大学の自由七科の一つに数えられた。現代でいうレトリック(修辞技法・文彩)とはやや意味が異なり、基本的には弁論・演説の技術で、聴衆の説得・扇動・魅了を目的とするかなり政治的なもの。



そのため修辞学では、聴衆を丸め込む心理操作の技術が大きな位置を占め、さらに演説者の身ぶりや発声法なども重要視された。つまり、修辞学は文彩だけでなく、言語学・政治術・話術・演技論・感情分析・思考法などが統合されたものであった。



弁論術を使っていた偉人達編集


代表例として挙がるのが以下3名である。


・キケロ

・アレクサンダー大王

・カエサル


そのほか、現在の大統領やマスメディア関連などでは頻繁に使われており、もはや数えることはできないほど影響が残っている。




現代で弁論術を教えている人編集


体系的に教えている人は少ない。しかし、巷では恋愛講師ビッグボスが教えているとか。



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