概要
同人ゲーム『うみねこのなく頃に散』に登場する集団に対する便宜的な呼称である。
記述にはネタバレを含む部分がある為閲覧には注意されたし。
07th Expansionの制作のサウンドノベル『うみねこのなく頃に散』で姿を現す存在。
人間の体に黒山羊の頭部が付属するという不気味な姿をしている。
EP8で登場し、作中で起きる殺人事件の被害者を免れた人物、右代宮縁寿に対し、『縁寿の両親が犯人である』等の推測に基づいた憶測な発言し彼女を追い詰めていく。
正体に関する考察
『うみねこ』は作中の人物だけでなく、プレイヤーも共に事件について推理を行う、いわゆる読者参加型のゲームである。
このことから推理山羊の正体に関し『「筋の通っていない暴論のような推理」「第三者故にキャラクターに感情移入できず行われる配慮に欠けた発言」をするプレイヤーに対し、作者の竜騎士07氏が皮肉として作り出した読者の具現化』ではないかという説があり、『うみねこ』を作品として見た場合の考察として広まっている。
またこの説に基づき、『このように読者を悪役として登場させるのは作者として失礼な行為ではないのか』といった感情を持ち、竜騎士07及び『うみねこ』作品全般に嫌悪感を示すプレイヤーも存在する。
少なくとも己の興味や好事から、事件の被害者や遺族の感情といった概念を超えてでも躍起になって真相を暴きたがる集団の暗喩であることは間違いない。
このキャラクター達に関しては、プレイヤーの間で現在も物議を醸している。
上記のように不快感を表す者も居れば、それすらも作品の面白みの一つだろうと解釈し、『よう、俺ら』とネタとして楽しむコメントを発する者も居る。
でも真相を暴きたい!
※EP8プレイ後に読むことを推奨。
我々読者が考察を突き詰めていったなれの果てこそが『推理山羊』だとした場合、次のような問題が生じる。
・山羊になってでも(登場人物を弄ぶ形になっても)推理を行うのか?
・山羊の立場を放棄し、物語を見るままに任せて終わるのか?
推理山羊は登場人物に精神的苦痛を与える悪役だが、それぞれの考えから繰り返し発言されている主張である。
結局それら主張は筋の通らないものとして否定され、物語は終了した。
これにより、推理するなら登場人物を踏みにじらなければならず、それを拒むなら真相の具体的内容が不明のまま物語を眺めて終わるという構図が発生してしまった。
この構図はEP1、EP2において探偵役(あるいは読者という探偵の助手であるワトスン役)だった右代宮戦人が陥った『真相を暴くなら身内を疑う、嫌なら魔女幻想を受け入れる』というジレンマを思わせる。
戦人は最終的にこれを克服し、EP5で真相に至るまで犯人を求め続けた。
では読者には何が求められているのか?
・『推理山羊』という存在が生み出す不快感に憤り、怒りを主張する
・『推理山羊』という存在をキャラとして楽しみ、物語を読破する
・『推理山羊』を受け入れつつ、真相解明を願い推理を続ける
・「何が求められているのか?そんなの押し付けだろ?」と一蹴する
どれが正しいのかという正解は、おそらく無い。読者とは一人ではなく無数の存在で、故に同じ作品でも見る人が違えば異なる解釈が生まれるからだ。
推理山羊はその解釈の一つ。
この記事すらも、閲覧者によって感想は変わるだろう。
貴方はどのように『うみねこのなく頃に』を解釈しますか?