概要
流仙とは、『スラムダンク』に登場するキャラクターである流川楓(湘北高校1年)と仙道彰(陵南高校2年)の腐向けカップリングのことである。
プロフィール
名前 | 流川楓 | 仙道彰 |
---|---|---|
高校 | 湘北高校 | 陵南高校 |
学年 | 1年 | 2年 |
ポジション | SF | F→PG |
背番号 | 11 | 7 |
身長 | 187cm | 190cm |
体重 | 75kg | 79kg |
担当声優 | 緑川光→神尾晋一朗 | 大塚芳忠 |
プレイスタイルの違い
流川はインサイドでもアウトサイドでも点を取れるマルチプレイヤーであり、自己中心的なワンマンプレイと評されたこともある。スタミナに問題があり、オフェンスに全力を注ぐと試合終盤まで体力が続かないことが弱点とされている。
それに対し仙道は天才と称されるオールラウンダー。1年生時はバリバリの点取り屋だったものの、その後パスの面白さを覚えてチームと試合全体の流れを考慮したプレイスタイルへ変化した。ドリブルの技術、ゲームメイキングにも優れており、ポイントガードもこなしている。精神的にムラがあり、相手が強かったり危機感を持たないと全力を出そうとしないことが問題として挙げられていた。
湘北vs陵南の練習試合
2人の出会いは湘北と陵南の練習試合(新装再編版3巻)である。この試合においては、仙道はまだフォワードとして出場しており、流川とマッチアップした。2人とも両校のエースプレイヤーであり、この時から流川は仙道に対し強いライバル心を抱いている。
試合序盤から仙道が見せた数々の超高校級プレイによって火が付いた流川は、仙道のアリウープを阻止して仙道の台詞である「さあ行こーか」を口にする。その後流川と仙道は互角の勝負を繰り広げ、一時は湘北が追い上げるも、仙道のブザービーターによりこの試合は陵南の勝利に終わった。試合後、仙道は流川をライバルと認めて握手を求め、流川はぶっきらぼうながらにそれに応じている。
神奈川県予選決勝リーグ湘北vs陵南
次に2人が顔を合わせたのはインターハイ出場をかけた神奈川県予選決勝リーグ(新装再編版11~13巻)である。この時の仙道は陵南vs海南の試合に引き続き、ポイントガードとしての才能を発揮しつつ再度流川とマッチアップした。この日、練習試合以来ずっと打倒・仙道を掲げてきたに違いないと語られるほど流川は気合が入っている。またこの際、仙道は流川が初めて敗北を味わわされた相手であることが明かされた。
前半戦、体力温存のために仙道と1対1の場面でも勝負を挑まなかった流川のことを仙道のみが疑問に思っている描写がある。そして後半戦では、序盤流川の成長に驚きを隠せなかった仙道だが、すぐに調子を取り戻して流川と全く同じプレイで点を取ってみせるなど、同じく負けず嫌いな面を見せた。この後、流川と仙道は牧に「どっちもエースが気まぐれ」と評されている。仙道は流川からの挑発もあり、昔のプレイスタイルである点取り屋へと戻っていったが、その際流川に対し「やっぱりこいつとの1on1はおもしれー」、「負けん気の強さと…タフな精神力と…県内随一の得点力をもっている。そして…最後にオレが勝つからだ」、「勝つから楽しーんだ」と思っている。仙道の華のあるプレイに観客も魅了されるが、最終的にこの試合は湘北の勝利となった。その後両者ともベスト5に選ばれている。仙道は全国への道を断たれたことを皆に惜しまれ、雑誌では特集も組まれた。
インターハイ前
その後2人が顔を合わせるのはインターハイの直前(流川の回想によって判明するため、このシーンは新装再編版19巻)である。流川がアメリカへ留学したいと思っていることを安西先生に直談判した際、流川は安西先生に反対された。その理由のひとつに、「君はまだ仙道君に及ばない」ということが挙げられている。それを受けて流川は仙道に勝負を挑みに陵南に押しかけるが、仙道が部の練習をサボっていたため追い返された。しかしその帰り道に仙道と出くわし、再度勝負を持ちかける。両者が一歩も引かないまま日が暮れたため決着はつかなかったが、仙道は流川に「お前はその才能を生かしきれてねえ」、「1対1もオフェンスの選択肢の一つにすぎねえ。それがわからねえうちはおめーには負ける気がしねえ」とアドバイスを送った。その際に流川は仙道に対し全国には仙道よりも上の選手がいるのかと問いかけるが、仙道は最初「さあ、知らねーな」とはぐらかす。しかしその後「いるよ」と答え、中学生の時に一度やっただけだが勝てなかった選手(=沢北)がいることを明かした。
余談
仙道は練習試合に遅刻して田岡監督に「寝坊です」と言い放つ、沢北の名前を北沢と覚え間違える、練習をサボって釣りに行くなど、彦一曰くおおらかな面がある。一方で流川も「家から近い」という理由だけで弱小の湘北へ進学する、眠りを妨害されると教師でも締め上げる、喧嘩っ早いなど、非常に自由きままな人物であった。