概要
DMMブラウザゲーム『文豪とアルケミスト』に登場するくにきだどっぽ×たやまかたいのカップリングタグ。
(検索よけのために平仮名表記をしております。記事編集の際は検索よけの徹底をお願いいたします。)
このタグを用いて投稿する場合、腐向けタグとの併用や、文アル【腐】などの住み分けタグの使用が望ましい。
ゲームでの関係性(ゲーム内ネタバレを含む)
一周年記念読本より
親友(一周年記念読本関係図より)。時代が自分たちの新しさについてこれないという不満を抱えるもの同士であるどっぽとかたいは、かつて、新しい文学について語り合い、意気投合した仲である(一周年記念読本くにきだどっぽ紹介文より)。
回想
- 潜書回想
・はー1「むさしの」(戦闘開始前に発生)
当時の権威はこうろ時代の文学であった。自分たちの文学が認められないことに対して憤りが隠せないどっぽに同意を見せつつも「生き急ぐ必要もない」と声をかけるかたい(どっぽの耗弱・喪失時の補修ボイスに関連)。日光において共に生活し、かたいがどっぽに小説の書き方を教えたことにも触れている(日光での共同生活については「史実において」の項目を参照)。
- 食堂回想
・「ライスカレー」(水曜夜)
「炊いた飯にカレー粉をぶっかけただけのアレ」のことを話す。これはかたいが初めてどっぽの元を訪れたときに振る舞われたものである。ちなみに二人とも食堂のメニューで一番好きなものはカレー(一周年記念本より)。
- イベント回想
調査任務ー學門ノススメー桜(復刻時にボイス実装)
「入学式 第一章」
白い本に潜書をして調査することになったかたい、とうそん、どっぽ。侵蝕者の登場に危機感の無いような声音で「あ、かたい、後ろ後ろ」と声をかけるどっぽや侵蝕者に取材しようとするとうそんに対する態度で、この三人においてのかたいのポジションがうかがえる。
「入学式 第二章」
自分たちが冒険小説の主人公のようだと話す二人。しぜんしゅぎらしく互いに自分が主人公であると主張するが、どっぽに「口喧嘩で俺に勝つつもりなら百年早い」と言われ、かたいは言葉を詰まらせている。
「田山の報告 二」
白い本の中には、制服を着た、自分たちにそっくりな人物が存在していた。かたいとどっぽ(?)、とうそん(?)の会話。「(ここは本の中なのだから)曲がり角で食パンを咥えた美少女とぶつかることもあるんだろ?」と言うかたいを「そんなのありえない」と一蹴するどっぽ(?)ととうそん(?)。二人の反応からしてかたい(?)も美少女好きなようだ。
「田山の報告 四」
かたいとどっぽ(?)の会話。どっぽ(?)は新聞に小説を載せているらしい。日常生活について書いているがウケるか分からない、と言うどっぽ(?)にかたいは「あの幽霊は本の世界を壊す悪者で、オレ達の書いた小説を守るために戦うって話はどうだ?」と今のかたいたちのことを話す。リアリティがないというどっぽに、かたいは「こんな話があってもいいだろ?」と言う。
島崎の報告 一
この世界の三人は新聞部。部長はかたい(?)で、どっぽ(?)ととうそん(?)はツートップ記者らしい。学園美少女目録を作ろうとしているようだ。
島崎の報告 二
かたい(?)は真面目に授業を受けているが、どっぽ(?)はこうよう(?)の授業をサボっているようだ。
入学式 断章一、二
かたい(?)はどうやら落第すれすれらしい。
手紙
現在実装されているのは、かたい宛て二通、どっぽ宛て一通である。
・どっぽ→かたい1
かたいの訪問を待っているという文面。実際に書かれた手紙の一部を抜粋している。
・どっぽ→かたい2
ある小説のタイトルについて聞いている。二人は小説についてよく話しているようだ。
・かたい→どっぽ
どっぽの留守中にふたばていの「うきぐも」を読んだことを伝える。二人は留守中にも部屋に行ったり勝手に本を読んだりしているようだ。たやまかたい著『とうきょうのさんじゅうねん』においても、かたいがどっぽの家に行ったが留守だったため、ふたばていの『かたこい』を読んで半日静かに過ごしたという記述がある。
史実において
かたいは余の親友なり
くにくだどっぽ著、まやませいか編『びょうしょうろく』において、どっぽは「かたいは余の親友なり」と言葉を残している。かたいが生きている間は後を任せられるので安心して死ねるとまで言っており、深い友情を感じる。
丘の上の家
かたいがどっぽと初めて出会うのは明治二十九年十一月だ。かたいの親友であるおおたぎょくめいと共に渋谷にあるくにきだの家を訪れている。それは丘の上にある小さな家だった。「国木田君は此方ですか」と色の白い痩せぎすの青年に尋ねると、青年は「僕が国木田」と答えた。これが二人の出会いだった。二人は旧知のようにすぐに打ち解け、かたいが帰ろうとすると引き留め、ライスカレーを振る舞った。食堂回想の項で触れた、飯にカレー粉をかけただけのものである。
日光生活
明治三十年四月から六月の二ヶ月、二人は日光の照尊院に滞在する。たやまかたい著『とうきょうのさんじゅうねん』の「ケーとティー」において、二人の生活が記されている。どっぽはそこで処女作「げんおじ」を書きあげた。先に潜書回想の項で触れた小説の書き方を教わった云々はこのときのことである。
どっぽの死
どっぽしゃの破産の後、肺結核に見舞われ、明治四十一年に南湖院へと療養、同年六月に四度目の喀血を起こして死亡。かたいはどっぽから、会って話したいのですぐ来てほしいとの旨の彼直筆の手紙を受け取り、「連載中の小説を明日の分まで書き終えたら朝一で行こう」と思っていたが、その日の深夜にどっぽの訃報を聞く。かたいはどっぽの死に目に会うことが出来なかった。