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第105回ベルモントステークス

さんじゅういちばしんさにふんにじゅうよんびょうぜろ

偉大なる“ビッグ・レッド”の名は、歴史的大圧勝劇をもって引き継がれた。
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概要編集

アメリカ競馬を代表する名馬セクレタリアトが競馬史上に残る大圧勝劇をした事で知られる。アメリカ国内ではもちろん日本の競馬ファンの間でも非常に高い認知度を誇り、セクレタリアトを語る上で絶対と言っていいほど欠かせないレースである。


打倒セクレタリアト編集

1973年、105回目を迎えたアメリカ三冠レースの最終戦ベルモントステークスには今年も5頭の少数精鋭の優駿が集った。

断然1番人気に推されたのは、これまでケンタッキーダービープリークネスステークスをどちらもレコードで快勝し、四半世紀振りのアメリカ三冠達成に王手をかけているセクレタリアト。世間では既にセクレタリアトの名が知れ渡っており、これまでの圧倒的なレース振りから「三冠は最早確実」とまでに期待が高まっていた。ただ、3歳馬にとってはダート2400mは未知の領域であり、セクレタリアトは果たしてスタミナが足りるのかが焦点となっていた。

2番人気にはシャムが続いた。シャムはここまでセクレタリアト相手に二冠レースどちらも2着と悔しいレースが続いてたが、ケンタッキーダービーではセクレタリアトと同じく史上初めて走破タイムで2分を切っており、プリークネスステークスも3着に6馬身差広げるなど非常に強い競馬をしていた。このベルモントステークスで逆襲を狙う。

3番人気のマイギャラントも前走前々走と好走し、4番人気のプライベートスマイルはジャージーダービー(当時G1、現G3)で2着入線、最低人気のトワイスアプリンスもジョッキークラブゴールドカップ(G1)で3着と5頭全馬実績十分であった。


出馬表編集

5頭全て牡馬である。

番号年齢騎手
1セクレタリアト3R.ターコット
2プライベートスマイル3D.ガーガン
3マイギャラント3A.コルデロjr.
4トワイスアプリンス3B.バエザ
5シャム3L.ピンカイjr.

レース内容編集

ゲートが開くとシャムが好スタートを切り逃げようとする。

一方出遅れたセクレタリアト。彼はこれまで後方からの追い込みを得意としており、このレースでも後方に控えてレースを進めるだろうと誰もが思っていた。

しかしなんと内からシャムに並びかけたかと思えば、猛スピードで逃げようとしているではないか。

前走とは打って変わって逃げに出たセクレタリアトに場内は騒然となり、シャムはまんまと行かせてたまるかと必死について行くことになった。なお他の3頭はすぐさま置いてかれた。

セクレタリアトの前半800mのラップは46秒2。これがどれぐらいのペースかというとなんとあのサイレンススズカが勝った1998年宝塚記念の前半800mよりも速く、さらに同じく快速の逃げ馬として知られるパンサラッサがスタコラサッサと逃げた2023年ジャパンカップの前半800mよりも速い。なお後者に関してはパンサラッサは12着に沈んでいる。

どう考えてもダートのクラシックディスタンスで出していいラップではない前代未聞の殺人的ハイペースについてったシャムは、大体向こう正面の中間あたりを過ぎたところで限界を迎え後退。他の馬も全くついて行くことが出来ずにセクレタリアトの完全な1人旅となり、最終コーナーを抜けて直線に入った時には既に10〜20馬身と絶望的な差をつけた。

が、セクレタリアトは追い討ちをかけるように直線で更に加速し差を広げたのである。どこにそんな無茶苦茶なスタミナがあったんだろうか。

こうしてやりたい放題のレースをしたセクレタリアトは、2着のトワイスアプリンスに31馬身差というもう笑うしかないような着差を叩きつけて悠々とゴールし見事三冠を達成した。ちなみにシャムは5着に沈んだ。


レース映像編集


結果編集

順位着差
1セクレタリアト2:24:00
2トワイスアプリンス31
3マイギャラント1/2
4プライベートスマイル13
5シャム3/4

セクレタリアトとシャムの二強と思われていたが、結果的にはセクレタリアトの独壇場となった。31馬身という着差はベルモントステークス史上最大着差である(もっとも31馬身差というのは公式記録ではない。実際には25馬身前後とする説もあるが、このレースにおいてのセクレタリアトの凄まじい強さが最も伝わるとして世間には31馬身差が広まっている)。


そのどうしようもない着差以上に特筆すべきなのが走破タイムの2分24秒0で、これはこれまでのコースレコードを2秒6も更新するどころか全米レコードすら2秒2更新するぶっちぎりのワールドレコード。セクレタリアトが叩き出したアメリカ三冠レースのレコードは3つとも半世紀以上経った今でも破られていないのだが、このベルモントステークスのレコードに関しては史上2位のタイムがイージーゴアの2分26秒0と未だに24秒台どころか25秒台すら出ていないことから、未来永劫破らることは無いであろうアルティメットレコードとされている。


補足するが決して相手が弱かった訳ではない。少なくともシャムはセクレタリアトがいなかったら三冠達成していただろうとも言わていた。ただセクレタリアトが異次元過ぎただけなのだ。

というかセクレタリアトはゴール直前で鞍上のターコット騎手が何度も後方を振り返るし思いっきり手綱を緩めるし、そもそもここまで本気で追ってないのにこの蹂躙劇である。最後まで本気で追ってたらどれだけのタイムが出ていたのか。


その後編集

  • セクレタリアトはなんやかんやあって既に種牡馬シンジケートが組まれていたため、ベルモントステークス後は6戦して4勝をあげ1973年シーズンをもって引退。ちなみにラスト2戦は芝レースにも出走しどちらも圧勝したため、エクリプス賞年間表彰では年度代表馬と一緒に最優秀芝牡馬もかっさらっていった。なんだこいつ。種牡馬としては期待に応えるような成績を出せなかったものの母父としては大成功を収めた。
  • シャムはその後の調教中に骨折し引退、結果的にこのレースがラストランになった。種牡馬としてはそれなりに成功。ただセクレタリアト同様フィリーサイアーだったため父系はほぼ断絶した。
  • アメリカ独自の評価指数である「ベイヤースピード指数」を発案したアンドリュー・ベイヤー氏によれば、セクレタリアトの値は推定ながら139とされている(歴代一位は133)

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ベルモントステークス セクレタリアト 名レース

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