概要
1991年に吉兆の創業者湯木貞一はそれまで多角化を進めていた吉兆を店舗別に分割を行った。分社化は創業者の息子や娘婿への暖簾分けという形で行われ、吉兆船場は吉兆船場店を継承した。
しかし、同じ大阪には長男が継承した本吉兆が存在した。こうしたこともあってか船場吉兆はさらなる多角化を推し進めた。
1999年にはそれまで店舗がなかった九州へ進出。また、百貨店との連携を推し進めた。
2007年の不祥事
2007年に消費期限・賞味期限の改竄が発覚すると産地偽造が次々発覚、当初これらの行為をパートになすりつけようとしたが、その後の調査で上層部の指揮であった事が発覚、その際の会見では女将のささやき通りに長男が言葉を繰り返す様子から「ささやき女将」と世間の失笑を買った。
2008年に民事再生法を適用し、「ささやき女将」が社長に就任、その他の役員は退陣した。グループ内の支援を受け、店舗を半減させる経営再建案を実行に移すが、食品の使いまわしの不祥事が発覚、グループの支援は取りやめになり、客も減って2008年5月28日に廃業、破産に追い込まれた。
「ささやき女将」はその後も吉兆グループの役員であり続けている。その吉兆グループでは、2013年に京都吉兆で食品衛生法に反する肉の取り扱いを行っていたことが発覚している。次男は自己破産を逃れ、大阪で新たに料亭を立ち上げた。