概要
『ラーメン発見伝』シリーズに登場する人物。『ラーメン発見伝』では最強のライバルとして、続編の『らーめん才遊記』では飲食店コンサルタントの社長・主人公の上司および指導者として、そして更に続編の『らーめん再遊記』では主人公として活躍する。
外見的には細身の体に剃り上げた頭と眼鏡が特徴。通称「ラーメンハゲ」。ラーメン界屈指の人気店「らあめん清流房」の店主であり、ラーメン界の第一人者・カリスマと称される。
人格的には傲岸不遜、芯からの皮肉屋であり、人の不幸を心から喜べる鬼畜人格である。ただ当然ながらそのような部分は大っぴらにすることはない。
後述の「濃口らあめん」開発の経緯から「何もわかってないラオタ(ラーメンオタク)」を心の底から嫌っており、罵倒を惜しまない。その一方で「わかっている」お客に対しては常に真摯であり、その人達のために最高のラーメンを作ろうと日々精進している。
彼の行動原理は一にも二にも「美味いラーメン」であり、そのために日々努力を続ける生粋のラーメン馬鹿である。
その一方でただラーメンが美味いだけで「ラーメン屋として」成功するというような甘い考えは持っておらず、立地条件・価格・食事満足度・清潔度・サービスなど総合的な視点についてもきちんと目を配っており、冷徹なビジネスマンとしても一流の人物である。
ラーメン発見伝
大学卒業後に結婚をしていたが、ラーメン屋になる夢が諦めきれずに脱サラしてラーメン屋になったことを機に離婚。
かつては理想に燃える料理人で、研究の末にたどり着いた鮎の煮干しを使った渾身の自信作「淡口(うすくち)らあめん」を完成させた。良い物なら必ず評価されるという自負のもと「淡口らあめん」一本で勝負し続けるが客足は伸びず、不渡りを出し廃業寸前まで追い込まれる。
そんな中グループで来店した若い客に「薄くてコクがない」「腹を満たすためだけのエサ」と酷評されたのをきっかけに自棄になり、「そんなに脂が食いたきゃこれでも食ってろ」と鮎の繊細な風味をぶちこわしかねないラード(豚脂)を大量に入れたラーメンを提供したところ、芹沢の思いに反してこれが好評であった。
そこで芹沢はラードに代わりニンニクを揚げた牛脂を使用し味を調整した「濃口らあめん」を開発したところこれが評判となり、店は人気店となる(一流の芹沢が作っただけあって濃口らあめん自体間違いなくおいしいラーメンであり、芹沢自身の評価は低くそもそも彼の流儀に反した妥協の一品ではあるが、それでも最高峰の一品である。「淡口らあめん」こそが芹沢の理想にして真髄の傑作であることを知った上で、それでもこちらの方が好みという人間も当然いる。)
しかし、牛脂にかき消され感じられるはずのない「鮎の煮干しの香り」がすると評価する客たちを見て、「こいつらはラーメンじゃなくて情報を食っている」という結論に至る(一応、隠し味程度にはあるが相当敏感でないと感じ取れない。事実鮎の煮干しがすり替えられた際、濃口を食べながら鮎の煮干しの風味がないと気付いた客がおり、それをきっかけに話が動く回がある)。
それのみにとどまらず、自分のラーメンの理解者どころか不渡りという状況で融資まで頑張ってもらった信金マンの恩人にまで濃口らあめんの方を高く評価されてしまう(しかもあろうことかほぼありもしない濃口らあめんの「鮎の煮干しの香り」が鮮烈で他の風味と調和しており、芹沢の理想である「淡口らあめん」よりも美味しいと評価される)。芹沢の鮎の煮干しへの拘りを知っていたからこその思い込みであるのだが、渾身の自信作が否定された現実にひとり絶望。
(誰にも理解できない理想のラーメンに、いったいなんの存在価値がある!?)
クックックッ ハーハッハッハッハ!!
店を存続させるためには理想とは正反対のラーメンを作り続けなければならないジレンマから決別するため“客を信じる事を止めた”現在のようなリアリストへと変貌した。
とはいえ、濃口らあめんが淡口らあめんより10倍以上売れようとも他の支店でも淡口らあめんをメニューから絶対外さずに出し続けているように、「分かっている客を大事にする」理想者としての一面も残っている(濃口らあめんを頼む客は淡口らあめんを作る金を持ってくる家畜と看做している)。
そういう芹沢の振る舞いから「冷徹なリアリストに見えてビジネスという鎧で身を守っているロマンチスト」とも評されている。
また同時期、「原田」という創作麺の天才と親交を深めており、お互いにお互いのラーメンを「理想を追及するあまり、ハイレベルすぎて客が置いてけぼり」「店に閑古鳥鳴いてて当然」「要するに自分と同じタイプのバカ」と評するなど意気投合していたが、店を続けるために濃口らあめんによる大衆への迎合を選んだ芹沢に原田は「バカは俺だけだったってことか」と吐き捨て失望、その後原田は理想に殉じて店を潰した事で関係が切れている。
主人公の藤本浩平とは濃口らあめんを巡り「美味しいラーメンではあるが牛脂で香りなんか飛んでしまっているからこれに鮎の煮干しの看板を掲げるのは誇大広告だ」と芹沢の本心そのままの評価をした事で一目置いており、何かとちょっかいをかけるが藤本の事は結構気に入ってる模様で、コンペなどでの対決を重ねながら彼に様々なヒントを嫌味と一緒に与え彼の成長を促している。逆に、藤本から自身の盲点をつくアドバイスがあった時は受け入れることも。
(上記の濃口に対して「完全に否定することはできないが、嘘はつきたく無い」と「葱油によるコッテリ感」と「流石に淡口には劣るが鮎の風味を感じられる味の組み立て」を組み合わせた葱鮎ラーメンを提示され、期間限定でメニューに加えており、その時は迷惑料として取り上げたスープが少量だったため、ほんの数名の限定メニューになっていたが、この時レシピも取り上げていたので後にちゃっかりメニューに加えている)
なお、勘違いされがちだが「単に濃口の方が好き」な客まで見下しているわけではなく、あくまで「濃口らあめんを食っときながらありもしない鮎の煮干しの風味を魅力としてドヤ顔で語るエセラーメンオタク(鮎含め他の厳選された食材の繊細な風味など吹っ飛んでしまっているのに鮎の風味がするというモノをわかった風な輩)」を軽蔑しているだけである。(実際濃口推しの雑誌編集長に「芹沢からすれば淡口の方が理想なのは分かっているが、それでも濃口のインパクトが忘れられない」と面と向かって言われた事に対しては、推しの強さに少し困惑する程度で、後に毒を吐くこともなかった)
さまざまな挑発や勝負などの紆余曲折を得た末に、六麺帝対拉麺タイムトンネルの対抗戦の最終戦の代打として出場したラーメンマスクこと藤本との最終決戦を迎え、「ラーメン界の店も客もレベルアップしてようやく、時代がオレに追いついた」とし、自身のらあめん人生の集大成「淡口らあめん 極」で挑む。しかし結果はワンサイドでの評価で圧倒的な敗北。流石に納得がいかない芹沢は猛抗議するも、審査委員長の有栖に藤本のラーメンの試食を薦められ、その意味を知った時上記の来歴を語り始める。
淡口らあめん 極は鮎の煮干しの旨味を最大限に引き出す為に「スープは鮎の煮干しではなく大量の焼き鮎から取った出汁のみに限定。 〆に薄口醤油タレにうるか(鮎の内臓の塩辛)を混ぜる」ととことん鮎由来のものしか使用しておらず、具も白髪ねぎと糸唐辛子のみを使用し、麺も北海道産の地紛を使った自家製麺によりスープとの自然な調和に拘る、ととにかく考え抜かれたラーメンだったが、「適度なコッテリ感を与える為に垂らした鶏油(=バカでもわかりやすい味)」が鮎との完璧な調和をほんの僅か乱してしまっていた事を指摘され、客を信頼した藤本と対照的に客を信じきれなかった己を自覚。ついに敗北を認めた。
確かに、どうしてオレは鶏油(チーユ)なんか入れてしまったんだろうな?
藤本クンのラーメンには、一点の迷いも感じられない。自分がうまいものは、客だって、うまいはずだという信頼感に溢れている…
しかし、いや、やはり、オレは…客を信じ切れなかった…
オレの……負けだっ!
ただし藤本は芹沢のライバルの千葉から「お前は客の恐ろしさを知らない、だからこその勝利だと言うことは忘れるな」と釘を刺されており、藤本も「自身がここまで上がって来れたのは貴方のおかげだ」と返される。その後、藤本が満を持して開店した店の開店祝い代わりにと彼のラーメンを更に旨くする方法を叱咤と共に授け、「自分にとって師匠とも言うべき存在だった」と涙ながらに頭を下げる藤本に見送られつつ去っていった。
らーめん才遊記
敵役、ライバル役だった前作と異なり、今回は主人公・汐見ゆとりの上司として登場。
自身の創作ラーメンを売る『らあめん清流房』のセカンドショップ『麺屋せりざわ』店長や、 フードコンサルタント企業『(株)清流企画』社長を務める多忙ぶりとなり、同時に表舞台で活躍する機会(実際にラーメンを作製して誰かを叩きのめす様な活躍)はめっきり減った。
しかし『ラーメン発見伝』と立ち位置は変わっておらず、悪態はそのままに社長として活躍しており、立場故かラーメンに限らないビジネスに関する箴言やオーナーの心構えなどを説いている事が多い。
この時自分にとっての師匠というべきラーメン職人である石原玄二郎や、右腕として信頼を寄せるも横領に手を染めて自身を裏切った元部下の安本高治なども登場した。
最終話では汐見の案内で前作主人公・藤本が開業した「らーめん藤本」に行く機会が発生。汐見自身、藤本のラーメンを食した事でこの道に進む覚悟を決めたとの告白に対し、自身も来店した経緯を語ると締め括りに「本物のラーメン屋だ」と最大級の賛辞を送り、二人して入店するところで物語は終わっている。
実写ドラマ版では『行列の女神』と言うタイトルの副題となり、女性(演・鈴木京香)に替わり、ハゲでは無くなっている。(この原作改編に関して、当の芹沢が「マーケティングを考えた際その方が有効と考えたならむしろガンガンやるタイプ」であることから、むしろ納得されるなど特に批判の声は上がっていないが、やはりリアルのラーメンハゲが見れなかった点を残念がる声は多い)
らーめん再遊記
満を持して主人公に抜擢。
しかし当初は情熱を完全に失った落ちぶれた姿を見せる。
ミドルエイジ・クライシス(成功した中年による燃え尽き症候群の亜種)を患い、「新作と言いつつ自己模倣ばかり繰り返している」と評されるほどこれまでの創作意欲と熱意をめっきり失ってしまっていた。
これに対して怒った汐見が新時代の旗手たる米倉(ムシュロン二つ星獲得)を煽って対決をお膳立て。当初は勝てる気が起こらなかった芹沢だが武田のおやじの「イカれたラーメン馬鹿」という言葉により、自分が「カリスマ」でも「天才」でもなく単なるラーメン馬鹿だということを思い出し、渾身のビールを使用した「苦いラーメン」により米倉に勝利。その後で汐見が創作性については自分を上回るラーメンを作ったことを切っ掛けにして突然社長業を引退して汐見を社長に据えた。
この時点で創作ラーメンについてはもはや自分では汐見に勝てないと考えており、芹沢が新たに目指す境地として掲げたのが「自分を押し出した」創作ラーメンとは真逆の「自分を捨てた」「醤油・味噌・塩・豚骨などを凌ぐ」ラーメンの「万人の形式」であった。
これを目指すために、人気ラーメンチェーン店でアルバイトとして裸一貫で働いてみたり、 大学で客員講師をしたり、休日には図書館に繰り出したりサウナや昼飲みを満喫するなど、大学生活を彷彿とさせる自由気ままな半隠居生活をエンジョイするようになり「ラーメン屋のアルバイトで上司に笑顔でヘコヘコし、仕事終わりに同僚と仲良く宴会する、外面だけはとんでもなくフレンドリーなラーメンハゲ」が爆誕。
また、自分と違う視点を求めてか、たまたま出会ったラーメンYouTuberの青年「グルタ(板倉和文)」とつるんでおり、意外な着眼点の鋭さや、自身が(無自覚ながら)軽んじていたインスタントラーメン界隈の知識が深いなど見所のある若者として目を掛けている。(特にインスタントラーメン=乾麺系はまさに「万人に受け入れられる形」の典型であるため昨今のレベルアップした乾麺業界について「見落としていた」と素直に脱帽している)
が、丸くなったわけではなく平日の昼間っから飲んだくれてみて「世の労働者どもが働いている中飲む酒は美味い」と悦に浸ったり、ホテルに長期滞在してみつつ、窓から下界を見下ろして「蟻」呼ばわりして悪人面してみたり、バイト先での同僚の人間関係のトラブルを酒の肴にして気持ちよくビールを飲み干す、いがみ合っていた二人の社員の決戦の場の社内コンペでお互いがお互いを見直し、和解ムードになった途端「なんか面白くないな」と宣いラーメンカリスマの力量全開で殴り込み同点トップの二人を蹴散らしぶっちぎり優勝を掻っ攫う(正体を知る数人からは「ちびっこ相撲大会に貴乃花や白鵬が乱入して優勝したみたいなもの」と呆れていた)など外道節も衰えていない。
ただ年齢を重ねたせいもあり、自分の先が長くないことを意識したセリフも多くなっている。
初期に濃口開発によって大繁盛になった際「濃口は鮎を使っていると書いてあるが風味が飛んでいる」事を指摘した上で何故そんなモノを目玉にし始めたのかを見抜き「(本当に作りたいラーメンが評価されるようになるまでの道のりは)これからだぞ」と激励してくれ、尊敬していた永友という人物がいた。
かつては芹沢を初めラーメン界のニューウェイブ世代の名だたる名職人が影響を受けた程、大衆向けという認識の「ラーメン」を一線を画す料理技法で「当時では」考えられない画期的で斬新な塩らーめんを作り上げるなどラーメン界の時代を創り変えた人物が今となっては時代遅れの化石と化してしまっていた際には「すべては昔話…か」と一抹の寂しさを漂わせる話もあれば。
かつては同じ理想を語り合った宇崎という人物と再会し、無理な挑戦による事業の失敗で落ちぶれた彼の現在の職場のイベントでラーメン対決をした果てにラーメンへの情熱を再燃させたことで「豚汁ラーメン」を開発、それが芹沢にとって「自分を表現するものではない、新しいラーメンの形式」の一つの到達点であった事で
「二十年も前に追い越した宇崎さんがいつのまにか俺の前を走ってるとはインチキでもされた気分」
「でもまあ上手くいっている様でよかった、いざとなれば資金援助しなければならなかったかもしれんし」
と悪態をつき、同席していた有栖に「芹沢さんから悪態がポンポン出てくるのは機嫌がいい証拠」と看破され、(かつての友人が再起するのを見るのは)悪い気分ではないと返す場面もあった。
また、上記の原田と再会し、彼が「独創性」に縛られ何もできなくなり、いつしか才能が枯渇していた事を見抜き、トドメを刺してやるつもりで勝負を持ちかけた
……はずが、「枯渇したのは情熱だけではないか」というグルタの横槍と独断で再起するのを見るなどの場面もあった。
なお、まだ開業前の髪が生えていた頃が度々映し出されており、アフロヘアーの如きボリュームのあるモジャモジャの天然パーマの髪質であった模様。(そりゃラーメンを作る上では邪魔になるわけである。)
更にはメタリカのファンであったりプロレスマニアで作中度々思い入れを語るなど意外なオタク気質を発揮させている。
前々作、前作と照らし合わせると共に本人の言に依れば年齢は60年代とされるが顔立ちは若々しいままで殆ど変わっていない(有栖などメインキャラを除いて周囲が年の瀬で激変してるにもかかわらず)。
ただ、サウナのシーンなどスーツの下は肉が落ちた体型であることから初老であることは確実に分かる。
作中顔立ち自体は整っているものの周囲からは悪人面(あげくに女性陣からは陰では変態呼ばわりされる始末)と評されるなど人相が悪く映っている模様でスーツなど仕事着を来ていない場合ヤクザと間違われることもしばしば。
名言
- ヤツらはラーメンを食ってるんじゃない。情報を食ってるんだ!
- あらゆる商品の価値は、品質、サービス、コストパフォーマンス、ブランド…といった多様な要素の総和で決まる。いいものなら売れるなどというナイーヴな考え方は捨てろ
- 「金を払う」とは仕事に責任を負わせること、「金を貰う」とは仕事に責任を負うことだ。金の介在しない仕事は絶対に無責任なものになる。覚えておけ。
- お客様は神様などではありません。お客様とは…人間です。
- 俺は社長も社員も同じだと思ってる。報酬と労働を交換しているだけなのだからフィフティー・フィフティー…役割が違うだけで、上も下もない対等な人間関係だ。
- よく覚えておけ。ラーメンは伝統料理と違って、セオリーもマニュアルもない。"常識"にとらわれているようではまだまだだな。
- 新しい何かとは、構造を疑い破壊することなくしては生まれないのだ!
- まだプロになる気があるのなら、覚えておけ。厨房だけがラーメン屋の全てではない!
- 若き日の小さな勲章は、時として大いなる呪いと化します。その者を増長させ、自己評価を歪めさせ、進む道を誤らせる。
- 「やる」というクライアントに「やるな」という助言だけはしてはならないのだ。
- 「うまいラーメン」で満足しているのはアマチュアに過ぎない。「うまい店」を目指してこそ、プロなのだ。
- 映画やドラマ等でよくある「復讐なんて虚しいだけ」なんてセリフが出てくるが、あんなのはいい子ぶったタワゴトだ。完膚なきまでの復讐ほど気分爽快、ストレス解消、かつ自己の尊厳を回復させるものはない。
- 「やりたいこと」と「やれること」がズレている時、人はやりたいことをやれる様努力する訳だがそうそう上手くはいかない…極端な例が「野球選手になりたい」「サッカー選手になりたい」とかだ。いくら頑張ろうが、恐らくは99%の子供達、若者達の夢は呆気なく潰える。そんな失敗確率の高過ぎる『夢』なんぞに賭けるより、「やれること」をやり続け、成功体験を歓び、自信を積み重ね、それを「やりたいこと」に変えて行った方がよほど上手くいく
- ラーメンとは…フェイクから真実を生み出そうとする情熱そのものです。
- あれだけ自由なラーメン作りをしていたのに、更なる自由を追い求めた結果、自由を失ってしまったとは皮肉だな。
- しょせん俺たちはカリスマでもアーティストでもない、ただのラーメン屋だ
- ろくな食材も使ってないし、うまくもまずくもないが、そこがいいんだ。もう『複雑で奥行きのある味わい』とか、『こだわりの高級食材』とか、疲れたよ…
余談
- ちなみにボケて等で有名な「ハゲメガネモード」の男性が彼である。
- ネット上(稀に作中でも)では「ラーメンハゲ」のあだ名で知られる芹沢だが、実際は料理に髪の毛を混入させないために剃りあげているのであり、ハゲているわけではない……とされるが作中一度も剃っているシーンはなく既にアラフィフを越えているあたり若い頃はそうでも現在は本当に生えなくなってるのが自然で見栄を張っていただけの可能性も否定出来なくはない。事実、否定していたのは「発見伝」の頃のみで「再遊記」ではむしろ認めている節がある。
- 「発見伝」の頃はタラコ唇で描かれていたものの最終話あたりでは殆ど描かれなくなり、「才遊記」からタラコ唇は一切無くなり現在の容姿になっている。