概要
『ラーメン再遊記』にてラーメンハゲこと芹沢達也が「麺房かのう」というラーメン屋で食事するシーンで口にした台詞。
「麺房かのう」の店主である加納は店を開業する前に働いていた「ベジシャキ豚麺堂」のメニューコンテストで活躍した実績を残しており、自身もその実績を誇りに思っていたが、本質的に過去の実績で満足して成長が止まっている状態を見抜いた芹沢に苦言を呈されていた。
「去年、中学生の同窓生が死にましてね、仮にA君としましょう」
「交流はありませんでしたが顔も名前位は知っていました。野球部の4番でエースで目立つ存在だったんですよ。」
「中学卒業後、高校野球の名門強豪校に進学、甲子園にも出場し、活躍した事で地元ではちょっとしたスターになりました。」
「周囲には彼をもてはやす者が群がりOBや後援者は高級焼肉店や寿司屋、果てはキャバレーにまで、連れ回す様になります(今は大問題になるが昔は割と良くあった事例)」
「かくしてAくんはどんどん自惚れ、天狗になっていきます。まだアマチュアの有望株でしかないのに大物スターにでもなった気分でロクに練習もせずに遊んでばかり…」
「そんな素行の悪さが祟って選手としての成長も止まり、大学野球にも行けずプロにもなれず…就職しても"スター"だった頃のプライドの高さが邪魔をして人に頭を下げられずうまくいかない…職を転々としてどんどん生活は荒んでいき酒浸りの日々」
「いつしかそんな悪い噂すら聞かなくなり、A君の存在も完全に忘れてしまっていたある日、旧知の人間から、彼が酒で体を壊し、死ぬにはまだ早い年齢で天に召されたことを知ったわけです。」
ラーメン屋の加納や"Aくん"の様なスポーツに限らず、漫画家や、何らかのライターなど勲章と呼べる実績を残した経験をすると増長して1人前になったと錯覚する者が現実でも少なからず存在しており、中には過去の栄光にすがるあまり一発屋で終わってしまう者もいる。
だがそんなものはプロになるような人間は大抵は通る大前提であり、それで食っていくのならやって当然、自慢にもならない経歴である(なんならそんな経歴すら持ってないのに大成している人はゴマンといる)
小学生の時に「高校生のような画」を描ければ天才だが、(素人ではない)大人になっても「高校生のような画」を描いていてはただのヘタクソなのだ
そしてそんな自分を持て囃す、全肯定botと化したレベルの低い友人や取り巻き、いよいよもって錯覚を現実と勘違いし始める。
だが作中のように思考停止してしまっているだけ、進歩を止めてしまっているだけならばまだマシである。
凝り固まった思考を解きほぐし、固執を辞め、先人に学んで歩みを始めれば秘めたる才を開花させる事は容易であろう、作中でもそうして二人の天才(といってもあくまで二流三流の天才、業界としては掃いて捨てるほど居る才能ではあったが)はお互い最も輝ける方法を見つけ出した。
だが才能無き者が天才という錯覚に浸れる時間はそう長くない、程なくして「一流のアマチュア」でしかなく、「二流どころか三流のプロ」ですらない現実を突きつけられる。
それで挫折して夢を諦めるのもよし、直視した上で本気度を下げ他の本業に勤める片手間で二流三流の凡百のプロに「なれたらいいな」程度で目指す程度にするもよし、趣味レベルで細々とやっていくのも良し
現実を直視して「やれるだけやろう」「あとこれだけ頑張ってダメならスパッと諦めよう」と立ち向かうなり、「せめてこれだけは達成しよう」「せめて夢に関わり続けられる仕事に就こう」と妥協するなり、拘るのをやめて諦めるなりをキチンと選べるのならそれが「夢見がちなガキ」が「大人」になると言う事なのだから。
問題なのは「早熟であっただけの場合」「過去の栄光が何かの間違いの場合」、そしてそのうえで手遅れになるまで「現実を直視できなかった場合」である
それでも本人はなまじ一度成功してしまっている以上「自分には才能がない」「早熟なだけだった」と認められない、挙げ句の果てには若き日の成功を、大人になっても未だに引っ張り出して「この時にあった筈の何かが今はないから評価されないのだ」と思い込み、ありもしない原点に立ち返り、明後日の方向への努力を始めるのだ。
当時評価され、そして今無くしたものは「将来性」、そして「才能の有無」を見誤り、見誤られていたこともわからないまま
そして何もかも手遅れになりやり直しのきかない歳になって初めて眼前に現実を突きつけられ、嫌が応にもそれに気づかされた時には「空虚な過去の栄光」と「実りもしない努力をした痕跡」だけを持った「何もしてこなかった、何もできない自分」が残るだけになる。
そうなった人間の取る行動はそう多くない、全てが無駄だったことを認められず届きもしない夢のために残りの時間と金を全て使い何も成さず消えるか、夢を諦めながらも惨めな自分を認められずバカみたいにデカいプライドを振り翳し「俺は特別なんだ」と過去の記録を吹聴して現実逃避し頭ひとつ下げられない様な人間として皆に遠巻きにされるか、全てに絶望し人生を終わらせるか
自分を信じるのは大切だが、過信せず見切りを付ける事もまた再出発のためには肝心である。