華扇ちゃnの包帯の下は空っぽだよ派
かせんちゃんのみぎうではからっぽだよは
東方Projectに登場する茨木華扇にまつわるファン及び二次創作における主張または立場に関するタグ。
「華扇ちゃn」はここでは華扇の愛称の一つ。ファンの間や二次創作において見られるもので、「華扇ちゃん」と同様の意味。
華扇はその右腕全体が包帯で覆われており、実際の状態の全貌が目視できないものとなっている(2015年4月現在)。
原作においては華扇の登場以後、その右腕の包帯の下はどういう状態にあるのかについてファンの間で様々に議論され、また二次創作作品などにおいてもそれぞれの形でその「右腕」の様子が想像された。
その内で、華扇の右腕の包帯の内側は「空っぽ」であり、身体の右腕に相当する部分に何らかの力によって包帯を右腕の形状に整えることでその右腕の外見を形成しているのだ、とする主張または立場が「華扇ちゃnの包帯の下は空っぽだよ派」である。
即ち包帯の下には先天または後天(義肢含む)等による実体を伴った「右腕」は無く、空洞状態であるとするものである。
ただし原作(『東方茨歌仙』、『東方深秘録』等)を見る時、その右腕的機能は単に「右腕と見せる」ためのものではなく作中では包帯を右腕と同様または通常期待される右腕の機能の範囲をはるかに超えたかたちでその能力が発揮されていることなどから、単に「空っぽ」なのではなく先述の未知の力(同現在時点)によって一般に想像されるものよりもさらに便利な右腕的器官として形成している模様である。
「右腕」については華扇の登場する『茨歌仙』や『東方三月精』など作中で様々に描写されており、そこにおいては実体を伴った右腕が「ない」様子も描かれている。
ただしその場面でも何らかの霧状の物質(と目されるもの)が描写されているため、単に「空っぽ」という訳ではない様子である。
ともあれファンによる想像においては様々な右腕に関する立場が採り得るものであり、かつ、その二次創作的アプローチが盛んである東方Projectの作品文化においては、今日でもその右腕について「空っぽ」であったり実体があったりと様々な考察やアイデアに基づく作品がつくられているなど、その「右腕」については多様なアプローチがなされているのである。
異なる立場・主張
本タグによる主張と対になる立場として「華扇ちゃnの包帯の下は生腕があるよ派」がある。
こちらは華扇の右腕の包帯の下には実体を伴った腕があるというものである。
「生腕」であるため、その想定するところは生物学的器官の延長にある何らかの「腕」であることが多い。
バックボーンとしては華扇には生来「右腕」があり、それを何らかの理由で包帯で隠し、あるいは何らかの術的方法などで不可視の状態にしている、とするものなどがある。