概要
1947年の大阪市大淀区生まれの在日韓国人2世。
生まれた時から暴れん坊であり、高校時代に少年院に行きかけたほど荒れていた時期があった。
しかし、完全な不良だったというわけでもなく、思春期には年相応に初恋や逢引などの甘酸っぱい経験もしている。
血なまぐさい一面があった一方、苦労していた母親を気遣うなど「鬼の目にも涙」的な逸話もある。
在日韓国人である出自を通し、学齢期では理解を示す教師もいればその立場に色眼鏡を使う教師もいた。高校入学時、自己紹介で通名「湖山永中」を名乗り、初恋の同級生を目掛けて「韓国人です」とカミングアウトするなど、好きになった子に自分のことを正直に伝えたかった純情さを併せ持っていた(そのことは後の自著で供述されている)。
極道関係者、在日同胞の人脈から政治家の知己を受け、政財界を駆け回り「戦後最大のフィクサー」とまで銘打たれるようになる。
後に「イトマン事件」、「石橋産業事件」で逮捕され、両親の母国・韓国で服役。
出所後、ソウルで介護や都市開発などで社会貢献している。
後に自伝『海峡に立つ 泥と血の我が半生』を出版。