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概要
76mm師団砲M1942(ロシア語: 76-мм дивизионная пушка образца 1942 года (ЗИС-3))。
第二次世界大戦中にソビエト連邦が開発した師団砲兵用軽カノン砲(野砲)。高初速のため着弾後に発射音が聞こえ、ドイツ軍からは「ラッチュ(擦過音)・バム(発射音)」と呼ばれた。
対戦車砲としても猛威を揮ったが、パンターやティーガーなど新型戦車が相手では分が悪く、1944年にはより大口径のD-44 85mm野砲とBS-3 100mm野砲が開発されている。
開発経緯
1940年、赤軍はF-22USV野砲の後継として、同じ弾薬(76×385mmR弾)を使用しながらも軽量かつ低コストな新型76mm野砲の開発を開始し、1941年にZiS-3が完成した。しかし既に量産が行われていたF-22USV野砲が優先されることになり、ZiS-3は製造中止となった。
しかし、F-22USVは複雑な構造が仇となって増産が進まないため、ドイツ戦車に対抗可能なあらゆる砲の生産が許可されることになり、ZiS-3の開発は一転して再開された。1942年2月に5日間のトライアルが行われ、良好な成績を収めたため、1942年型76mm師団野砲として制式採用された。基本的な性能はF-22USVと変わりがなかったが、砲架の構造が簡略化されたため、調達コストはF-22USVの2/3にまで低下し、重量も軽減され取り回しも向上していた。
性能
口径が76mmとやや小さく、砲弾と薬莢が一体となった固定薬莢式弾薬を使用し、発射後の薬莢の排出が自動で行われる半自動排莢機能を備えていたことから、カタログスペック上は装填手の気合次第で毎分25発(2.4秒に1発)という高い発射速度を発揮できた。
砲架の設計は並行して開発されていた57mm ZiS-2対戦車砲と共通していたため、野砲と対戦車砲の中間的な形態を備え、野砲としては比較的軽量で背が低く、開脚式で54度という十分な左右の旋回角を備えていた。砲架に対して砲の反動が過大だったため反動軽減のためにマズルブレーキ を装着している。当初は57mm砲が対戦車砲、76mm砲が野砲として使い分ける計画だったが、57mm砲は極端な長砲身設計が災いして砲身の生産コストの問題で早々に生産停止となり、ZiS-3が野砲と対戦車砲の役割を兼ねることになった。元々が対戦車砲との共通砲架だったため、対戦車砲としての運用で重要となる隠蔽性や射界、照準速度などは良好だった。
牽引状態での重量は2トン弱で、この時代の牽引式野砲としては標準的な機動性を備えていた。
口径が小さい代わりに長砲身(42口径)で比較的高い砲口初速で砲弾を打ち出すことができ、ある程度の対戦車能力を有していたことに加えて、射程距離は13.3kmで、ドイツの10.5cm leFH18やイギリスの25ポンド砲などの同時代のライバルより小口径だが長射程だった。
特に独ソ戦では直接のライバルとなる10.5cm leFH18よりも射程距離・発射速度で勝っていた一方で、ドイツ軍が保有するZiS-3より長射程の火砲はいずれもZiS-3より大幅に重量が大きく機動性に劣ったため、ドイツ軍は射程と機動性を兼ね備えたZiS-3への対処に大いに苦慮することになる。
他国が射程を犠牲にしてまでより大口径な野砲を使用していた背景として、第一次世界大戦の戦訓で、75mmクラスの野砲は塹壕にこもる敵に対して十分な打撃を与えられないことが判明していたことがある。しかしZiS-3が登場した時代には塹壕戦は過去の物となっていたことから、口径の小ささによる威力不足は表面化することはなかった。ZiS-3は基本設計の優秀さのみならず、第二次世界大戦の戦術的状況にもマッチしていたことで大きな成功を収めたと言える。
なおソ連砲兵はZiS-3の威力不足を補う軽榴弾砲として122mm M-30榴弾砲を装備していた。これはZiS-3よりはるかに重い砲弾を発射できたが、ZiS-3より短射程かつ大重量で対戦車戦闘にも使えなかったので運用性は劣っていた。
同時代のドイツの7.5cmPaK40と比べると砲口初速が低く、対戦車砲としての能力は劣っていたが、PaK40は対戦車用途専用の砲架であるため大仰角を取れず、野砲として長距離間接砲撃ができなかったのに対して、ZiS-3は対戦車砲としての直接射撃から野砲としての間接砲撃まで一台で対応しており、汎用性の高さが大きな利点だった。
ライバルより優れた発射速度や射程と、十分な機動性を持ち、対戦車戦闘にも使用可能な汎用性を持つZiS-3は、必要十分な性能を備えた扱いやすい兵器として高く評価され、量産性にも優れていたことから非常に有効な兵器として独ソ戦中に大量生産され活躍した。
T-34やKV-1の76mm戦車砲もZiS-3と同じ弾薬を使用している。ただし戦車砲化にあたって砲身が少し短く変更されており、威力は低下している。
ZiS-3は独ソ戦の中盤以降は対戦車砲としては威力不足になり、対戦車用途では、高射砲をもとに新規に開発された85mm対戦車砲や100mm対戦車砲に置き換えられていった。戦車砲も同様に85mm砲や122mm砲に置き換えられた。
一方、野砲としての用途では、ライバルのleFH18は改良によりZiS-3との射程の差を縮めていたが、依然ZiS-3の方が優位を保っており、終戦まで主力野砲として運用され続けた。
第二次世界大戦後は予備役に退くが、ワルシャワ条約機構加盟国や中東・アフリカ・アジアの親ソ国に供与され、現在でも一部の国では現役である。
運用
ZiS-3は1個師団あたり1個大隊12門(3個中隊で編成)が配備されたほか、6個中隊24門で編成される独立対戦車連隊にも配備された。