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尾小屋鉄道の編集履歴

2015-10-31 11:16:12 バージョン

尾小屋鉄道

おごやてつどう

尾小屋鉄道は、大正8年より昭和52年まで石川県を走っていた軽便鉄道および路線を運営していた会社であり、路線は最後まで非電化であった路線であった。

この路線は762mmというナローゲージ軽便鉄道であり、尾小屋鉱山(江戸時金山として開発されたが、閉山、明治以降銅山として再開発された鉱山、昭和46年閉山)の鉱山鉄道として建設された。そのため、戦時中の交通統合にも関係せず、会社がそのまま存続している。

 また鉄道路線が廃止される昭和52年まで電化されることはなく、ディーゼル機関車気動車客車で運用されていた(また、蒸気機関車も所有しており、最後まで社席を残していた)。

 この鉄道を運行していた会社自体は小松バスとして名鉄グループの北陸鉄道の連結子会社として路線バスおよび観光バス事業を行っている。

歴史

1916年、尾小屋鉱山の鉱山長により鉱山鉄道の目的で免許申請。

1919年、開業。石川県小松市の新小松駅(国鉄小松駅に接続)から尾小屋駅までを結んでおり、旅客営業を開始。

1920年、全線開通、貨物営業を開始。また、鉱山を経営する横山鉱業部に経営を移譲する。

1929年、会社が親会社より分割され尾小屋鉄道株式会社となる。

1936年、それまで鉱山を経営していた横山工業部が日本鉱業(現在JX日鉱日石エネルギーの親会社)に鉱山を売却、それに伴いこの会社も売却される。

1937年、内燃動力併用認可(ガソリンカー)。

1943年より1945年、石川県中小私鉄等は戦時統合により北陸鉄道に統合されるも、この会社は統合対象より外れる。

1950年、一般乗合旅客自動車運送事業の免許を取得、後にこれが会社を助けることとなる。

その後駅の開業、客車の導入など旅客面に力を入れ、モータリゼーションの波を受けながらも健闘する。

1962年、親会社が日本鉱業から名古屋鉄道に変更される。くしくも北陸鉄道も同年名古屋鉄道の関連会社となっている。

1971年、尾小屋鉱山が閉山し、経営の柱を失った。その後も鉄道の存続に向けていろいろな動きを見せていた。

1977年、結果として鉄道路線廃止となり、会社名は小松バスと改名。廃止時においては日本最後の非電化軽便鉄道だった。

※なお、現在でも小松バスの尾小屋行きバスが運行されている。

保存車

「いしかわ子ども交流センター小松館(外部リンク)」に、なかよし鉄道(外部リンク)という保存鉄道があり、一部車両(キハ1・DC121・ホハフ3・ホハフ8)が動態保存されている。

 また、「尾小屋鉱山資料館」に併設された「ポッポ汽車展示館(小松市の紹介)」に3両(5号機関車・キハ3・ハフ1)が静態保存され、東京大学の鉄道研究会等により、尾小屋駅に2両(キハ2、ホハフ7)が静態保存されている。

関連動画

鉄道廃止時のフィルム映像。

なお過去の版ではこの箇所にはドラマキイハンター」第161話および第162話にこの鉄道が登場した際の映像であったことを述べておく。

外部リンク

尾小屋鉄道ホームページ

小松バス公式ホームページ

尾鉄通信

参照

wikipedia:同項目およびリンク先

関連項目

軽便鉄道 私鉄 石川県

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