日本の政治家。第85代内閣総理大臣、第18代自民党総裁(在任1998年7月~2000年4月)。
同じく政治家の小渕優子は次女である。
竹下内閣で官房長官を務めていた当時の昭和64年(西暦1989年)1月7日(昭和天皇崩御当日)、新しい元号「平成」を記者会見で発表したシーンが有名であり、「平成おじさん」のニックネームがある。
政権発足直後、アメリカのマスコミから「冷めたピザ」と酷評された。
が、野党の自由党や公明党との連立を果たして政権基盤の安定化に成功し、国旗・国歌法、周辺事態法、通信傍受法、男女共同参画基本法などの重要法案を次々に成立させ、その後「海の家のラーメン」(期待していなかったが食べたら案外旨かった)との評価を得る。
誰にでも気軽に電話をかけることも有名となり、「ブッチホン」なる言葉も生まれた。
晩年は首相の激務により体調を崩しており、これを見かねた娘の小渕優子が会社を退職して彼の秘書となった。しかし在任中の2000年4月2日に脳梗塞を発症、回復せぬまま約1か月半後の同年5月14日午後4時7分に死去。享年62歳。
首相経験者への追悼演説は野党第一党党首が行うのが通例であり、本来なら当時第一党野党であった民主党の鳩山由紀夫代表が演説を行う予定だったが、鳩山に対し猛烈な嫌悪感を抱いていた遺族側が強固にこれを拒否。例外的に首相経験者で野党社会民主党衆院議員(前党首)の村山富市元首相による追悼演説となった。この件に関連し、野中広務は後日、国会で小渕への哀悼の意を表明した鳩山を「前首相の死の一因があなたにあったことを考えると、あまりにもしらじらしい発言」と痛烈に批判した。
娘の小渕優子が後継となり地盤を継いだ。