清朝
しんちょう
中国史上最後の統一王朝(Qing Empire)。 1644 - 1917(1924) 歴代中華王朝で最大版図を獲得した。
概要
歴代王朝の最大版図を獲得した。
1636年に愛新覚羅氏族による後金から改名し、1644年に明が滅亡したのに乗じ大陸を支配する。
1912年に辛亥革命で倒れるまで約270年間存続したが、1924年までは朝廷組織として存続した。
中国史上最後の帝政中華国家(律令封建帝国)
漢民族からは北夷(異民族)にあたる満州人(満州民族)が大明帝国を乗っ取る形で成立したこの帝国は歴代の中華帝国で最大版図を獲得した。
清はかつての唐に匹敵する超大国として、中世・近代アジアの最大の影響力を持つ勢力として君臨したが国運は中世以降急速に傾き、太平天国の乱に始まる大規模な反乱と、当時の帝国主義によるヨーロッパ諸国の侵略を受け領土の大半を植民地にされたことにより中国人(主に漢人)の人心は離れ反帝国運動が広がる。
朝廷も皇帝を元首として立憲君主制や議会制度を設置するなど近代化を進めるがすでに遅く、1911年に全国規模で革命(辛亥革命)が起こり「中華民国(袁世凱政権)」が国家として形成される。
これにより、4000年にわたる中国独自の律令封建体制による国家運営は終了した(事実上の滅亡)が、1924年までは皇帝と紫禁城の三省六部(朝廷)的組織はそのまま存続した。
満州国(1935年-1945年)は清の血統を引く溥儀が皇帝として即位したので、後清ともされるが、清帝国の延長線上におく事は比較的少ない。※1
※1 大日本帝国の属領帝国的扱いをされていたことや、満州国の行政権が帝国陸軍の一部隊にあたる関東軍に運営されていた事などがある。