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北条重時の編集履歴

2016-02-24 07:19:47 バージョン

北条重時

ほうじょうしげとき

鎌倉幕府の要職を歴任した北条氏一族の重鎮。

概要

生没年 建久9年(1198年)6月6日~弘長元年(1261年)11月3日

 出家後、極楽寺に住んだたため「極楽寺殿」と称し、六波羅探題北方、連署など重職を歴任して一族の中でも特に重んじられた。鎌倉幕府・第2代執権北条義時の三男。兄に第3代執権・北条泰時、名越流・北条氏の祖・北条朝時、弟に第7代執権・北条政村、金沢流・北条氏の祖・北条実泰、北条有時、子に赤橋流・北条氏の祖であり第6代執権でもある北条長時、六波羅探題を務めた北条時茂、第8代執権・北条時宗の下で連署を務めた北条義政、第8代・時宗時代末期・第9代・貞時時代初期に連署を務めた北条(普恩寺)業時らがいる。


承久の乱

 承久元年(1219年)1月、3代将軍源実朝が暗殺され、幕府は朝廷と折衝を重ねた末、次の将軍としてわずか2歳の三寅(後の4代将軍・九条頼経)を鎌倉に迎える。

 同承久元年(1219年)7月、将軍に近侍するため22歳で小侍所別当に就任、三寅に仕える。

 承久3年(1221年)5月、後鳥羽上皇が「幕府執権・北条義時追討」の院宣を発し挙兵、これを受けて幕府は義時の嫡男・北条泰時と義時の弟・北条時房を大将として軍勢を派遣、朝廷軍を一蹴し、首謀者である後鳥羽上皇を隠岐、上皇の子の土御門上皇を阿波、順徳上皇を佐渡に配流されることとなった(承久の乱)。

 乱の終結後、幕府は京の治安維持と朝廷の監視のため六波羅に探題を置くこととなり、初代北方に北条泰時、南方に北条時房をその職に就けている。


4代将軍・九条頼経

 元仁元年(1224年)、2代執権・北条義時が急死し、京より呼び戻された義時の嫡男・泰時が執権に、義時の弟・時房がその補佐役として初代連署に就いた。また翌嘉禄元年(1225年)には三寅の後見を務めていた初代将軍・源頼朝の正室・北条政子が死去、急きょ、三寅は8歳で元服することとなり「九条頼経」を名乗った。

 嘉禄2年(1226年)、九条頼経が9歳で4代将軍に任じられる。

 寛喜2年(1230年)、六波羅探題北方を務めていた泰時の嫡男・北条時氏が病に倒れたため後任として生まれたばかりの長男・長時を伴い上洛、以後18年間、六波羅探題北方を務め、京の治安維持にあたると同時に、朝廷での支持基盤が弱い後嵯峨天皇を保護する役割を果たす。

 貞永元年(1232年)、幕府により『御成敗式目』が制定され、西国施行にかかわる。

 嘉禎元年(1235年)~嘉禎2年(1236年) 興福寺対石清水八幡宮、延暦寺対佐々木氏などの寺社紛争の解決に尽力。

 仁治3年(1242年)、第3代執権・北条泰時が死去し、泰時の孫・北条経時が19歳で執権に就任、経時は第4代将軍・九条頼経との権力争いにあたらざるをえない状況におかれる。

 寛元2年(1244年)、執権・北条経時は将軍・九条頼経を将軍職から退かせ、わずか6歳の九条頼継(頼経の子)を新たな将軍に据える強攻策をとるが、頼経は頼嗣の後見役としてその後も鎌倉にとどまりつづけた。


 寛元4年(1246年)閏4月、執権・北条経時が死去し、同母弟・北条時頼が新たな執権に就任、これを契機に頼経派の北条氏重鎮・名越光時が反得宗に動くがすぐに鎮圧され、頼経は京に追放されることとなった(宮騒動)。


連署に就任

 宝治元年(1247年)、三浦氏との内乱終結後(宝治合戦)に時頼に招かれ連署に就任、また、娘の葛西殿が執権・北条時頼の正室となり、血筋の上からも時頼を補佐することとなった。

 建長3年(1251年)、時頼の正室・葛西殿に嫡男・正寿(後の8代執権・北条時宗)生まれる。

 建長4年(1252年)、九条頼嗣を将軍職から罷免し、重時と信頼関係にある後嵯峨上皇の第一皇子・宗尊親王を次の将軍に擁立することに成功。

 康元元年(1256年)、政界から引退し出家、極楽寺に住んだため「極楽寺殿」と称し、弘長元年(1261年)11月、死去した。


北条重時家訓

 「六波羅殿御家訓」、「極楽寺殿御消息」の2種類があり、前者は壮年期、嫡男・長時に与える訓戒として作成され、後者は出家後、一般的な子孫への教訓として作成された。内容を一部改め、作者を北条時頼に仮託した異本(「西明寺殿教訓書」が室町時代に流布した。


その他

大河ドラマ北条時宗』では平幹二朗が演じた。なお、作中での時宗の母は『毛利季光の娘で重時の養女』という史実の正室と継室がまぜこぜになった設定である。時頼が伝染病により死を覚悟した際、幼き日の時宗に「政に迷った際は政の表も裏も知り尽くしている重時を頼れ」と言い聞かせている。


関連タグ

鎌倉時代 鎌倉幕府 執権 連署 北条義時 北条泰時 北条経時 九条頼経 北条時頼

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