概要
略称は「西工」または「NSK」。pixivでは「西工」の使用例が多い。
西鉄グループのバス車体製造メーカー(コーチビルダー)として、1946年に福岡県八幡市に創立された。
バスは構造上トラックとの共通点が多いものの、客室部分は独自設計となるため、大戦後の混乱の中ではシャーシだけを買ってきて自作してしまった方が効率が良いという判断によるものである。
なお、当時はバス車体の製造を外注する事は珍しくなく、特殊車両の中には現在でもそうした販売形態が一般的な車種も存在していたりする。
西鉄バスは日本最大の勢力を誇るバス会社であり、その豊富な需要と資金力に裏付けられながら、ユーザーのどんなわがままにも柔軟に対応し、なおかつ低コストで車両を作り上げる体制を築き上げていった事で知られる。
日本初の冷房付きバス・日本初の中ドア4枚折り戸車・日本初のプライベートカーテン付き夜行高速バスなど、名車・珍車を数多く送り出した。
50~60年代は社会が安定する中で徐々に車体メーカーが淘汰されていった時期であったが、これを販路の拡大や同業者との合併・事業協力によって乗り切った。その中には先尾翼機「震電」を製造した「九州飛行機」 の末裔(渡辺自動車工業)なども含まれており、変態的な技術力にも磨きをかけている。
もっとも、長年「東限は京都市交通局」と言われたほど東日本のバス会社には弱く、まとまった数を購入していたのは静岡鉄道・京成電鉄(京成グループの車体メーカーによるライセンス生産)・仙台市交通局程度であった。
この状況は2002年になって、日産ディーゼル (現・UDトラックス)の指定車体メーカーとなった事によって解消される。指定を受けずバス車体製造から撤退した富士重工業が東日本に比較的強かった事もあり、その後釜に納まる形で新たな顧客を多数獲得した。
これ以降の東日本圏の最大ユーザーは京王電鉄バスグループ(路線バス用車体)と東京空港交通(高速バス用車体)となっている
一方、この頃から日野自動車といすゞ自動車のバス生産部門統合(→J-BUS)による業態見直しにより、両社のシャーシ入手が困難になり始める。
提携先のUDトラックスは、残る大手メーカーである三菱ふそうとの統合を画策し始め、一時は三菱ふそうへのOEM供給によって西工への注文が急増するといった特需に見舞われた。
しかし、それによる生産の遅滞が目立ち始めた事、リーマンショックの発生による事業計画の見直しが行われた事、三菱ふそうが工法の変更により自社のみでの量産体制を確立した事等の事情が重なり、両社は一転して西工へのシャーシ供給を打ち切り。
西工は日本の大手メーカー全てからの兵糧攻めを受ける形となり、2010年を以て廃業を余儀なくされた。
こうして、日本で唯一残っていた独立系の(シャーシメーカーの傘下にない)コーチビルダーが消滅したのである。2011年、会社清算。
なお、前述のUDトラックスと三菱ふそうの統合計画はその後結局破談となっており、最後まで自社での車体製造を行っていなかったUDトラックスもまた、自動的にバス業界から退場する運びとなった。犬死にと言うか無理心中と言うか・・・
現在、製造は終了しているものの、アフターサービスは富士重工業の子会社である「スバルカスタマイズ工房バスアフター部」と、西鉄の子会社でありUDトラックスからの業務委託を受けた「共栄車体工業」によって続けられている。
関連タグ
スペースランナー:末期の主力車種。西工の廃業と同時に製造終了。