概要
フィデル・カストロ・ルス( Fidel Alejandro Castro Ruz )
キューバの政治家、革命家、軍人、弁護士。社会主義者。キューバの国家元首であり、実質上の支配者であった。
経歴
1926年、裕福な農場主の家に生まれる。若いころはスポーツ、とくに野球が得意であったらしく、最優秀高校スポーツ選手に選ばれたり投手としてメジャーリーグ選抜と対戦したりしている。
1952年に政界に打って出ようとするも、フルヘンシオ・バティスタによるクーデターによりそれはなくなり、1953年には武装闘争に打って出るも失敗、逮捕されるも1955年に恩赦で出所後、メキシコに亡命。
1956年にキューバに潜入するもこのとき仲間の多数を失う。その後彼らは民衆の支持を獲得し、逆にバティスタは民衆の指示を失っていく。また、ソ連の協力もあったとされる。
1959年のキューバ革命においてアメリカ合衆国の事実上の傀儡政権であったフルヘンシオ・バティスタは海外逃亡、臨時政権を認めず武力で倒しキューバを社会主義国家に変えた。
革命によって同国の最高指導者となり、首相および共産党の党首とされる第一書記に就任。当初はアメリカとの友好な関係を維持したかったものの、前政権との利権の問題や共産党を嫌うアメリカから支持されなかったため、一転ソビエト連邦に接近、社会主義的な政策を打ち出す。
1965年から2011年までキューバ共産党中央委員会第一書記を、1976年より2008年まで国家評議会議長( 国家元首 )兼閣僚評議会議長( 首相 )を務めた。国家元首として在職中、日本国内においては「カストロ議長」と呼称されることが多かった。2012年、元首、首相、党首を引退宣言、弟であるラウル・モデスト・カストロ・ルスにその座を譲った。
政策等
なお、アメリカ合衆国をはじめとする禁輸措置などにより経済状態は一時悪かったため、亡命者が相次いだ。その中には不倫相手の子も存在している。
また、当初はソビエト連邦と密接な関係にあったがキューバ危機の際頭越しに怪傑を行ったため一時期関係が悪化した。
また、中華人民共和国とは比較的関係がよくなかったが、近年親密となっており、中華民国とも関係は悪くないようである。
また、強烈な無神論者であるらしく、宗教に対する弾圧を行ったためバチカンから破門されていた様である。
息子が複数存在するが、彼らは政治の世界には入っていないようであり、特に長男は学者として原子力の専門家となっているようである。