概要
所属国 | キューバ |
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創設 | 1965年10月(現在に続く組織として再建された時期) |
中央委員会第一書記 | ミゲル・ディアス=カネル |
本部所在地 | キューバ ハバナ |
党員数 | 50万人(2022年3月時点) |
スローガン | ハスタ・ラ・ヴィクトリア・シエンプレ!(勝利に向かって永遠に!) |
機関紙 | グランマ |
キューバ共産党(キューバきょうさんとう、スペイン語:Partido Comunista de Cuba)は、キューバ共和国の支配政党。党は指導原理としてマルクス・レーニン主義とホセ・マルティ思想を掲げており、憲法第5条では「キューバ共産党は社会及び国の優れた指導力」と規定され、共産党の一党独裁による統治が実施されている。1959年1月にフィデル・カストロとチェ・ゲバラが中心となってキューバ革命を達成し、1965年10月に支配政党となってからは社会主義路線を取る。
歴史
初期
1925年8月に結成されてからはコミンテルンの指導下にあり、1944年1月に右傾路線から人民社会党に改称した。1952年3月にフルヘンシオ・バティスタがクーデターで再び権力を掌握した後、これに反対した人民社会党は非合法化された。人民社会党はキューバ革命の中で多くの対立を内包しつつも、フィデル・カストロを初めとした7月26日運動と共闘して革命の後に合法化された。
キューバ革命の後
革命政権は次第に反アメリカ・社会主義路線を取るようになり、1961年4月にピッグス湾事件が発生してから明確化され、フィデルはキューバ革命を社会主義革命と宣言した。同年7月に人民社会党は7月26日運動などと合併して社会主義革命連合党を結成し、1965年10月に党の名称がキューバ共産党に戻った後はフィデルが第一書記として党の指導者となった。
フィデル時代
1975年12月に第1回党大会が開催された後も、1980年12月・1986年2月・1991年10月・1997年10月と大会は開催されている。2006年7月にフィデル・カストロは病気療養の為、弟のラウル・カストロに国家評議会議長(国家元首)・閣僚評議会議長(首相)の職を暫定的に委譲した。2011年3月にフィデル自身が発表した記事によると、この時に党第一書記職も辞任したという。
ラウル時代
2008年2月に招集された人民権力全国会議(国会)でフィデルは正式に国家評議会議長兼閣僚評議会議長を辞任し、2011年4月に14年ぶりの党大会が開催された。この第6回党大会で市場原理を部分的に導入した経済改革案が承認され、2008年2月に国家元首の地位から退いたフィデルは正式に第一書記も退任して弟のラウルを後継にし、2021年4月まで指導者の地位にあり続けた。
ディアス=カネル時代
2018年4月19日にラウルは国家評議会議長と閣僚評議会議長を退任し、同月からはその後継にミゲル・ディアス=カネルが就任した。事実上の指導者である第一書記はラウルが引き続き務める事になったが、2019年2月に憲法改正が実施されて国家評議会議長と閣僚評議会議長に代わって大統領・首相職が復活し、個人に集中していた権力の分散が進められた。
2021年4月19日にラウルは第一書記を退任し、約60年に及ぶカストロ政権が終了してディアス=カネル大統領がこの職を引き継いだ。大胆に市場経済化を進めている中国・ベトナムの共産党に比べて伝統的なマルクス・レーニン主義に忠実で、1991年12月にソ連が崩壊した後は部分的に外資を導入するなど経済改革に着手したが、中国・ベトナムのようなドラスティックなものでは無い。
歴代の指導者
氏名 | 在任期間 | 第二書記 |
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フィデル・カストロ | 1965年10月3日 – 2011年4月19日 | ラウル・カストロ |
ラウル・カストロ | 2011年4月19日 – 2021年4月19日 | ホセ・ラモン・マチャド |
ミゲル・ディアス=カネル | 2021年4月19日 – 現職 | ホセ・ラモン・マチャド |