概要
寿司のうち、早寿司の一種。
魚、塩、米で発酵させたものがなれずしで、こちらの方が古くから存在した。それに対して、発酵させないで、種として使う魚の切り身などを、酢飯とともに使うものを早寿司と呼ぶ。
早寿司にも色々あるが、酢飯の上に寿司種を乗せて、握って形を整えるものが握り寿司である。
寿司種は魚の切り身が多いが、生食する新鮮なものだけでなく、漬けたり炙ったり手を加えたものもあり、卵焼きのようなそれ以外の食材もある。
……のだが、pixivではあまりこのタグは見掛けない。
握り寿司も巻き寿司も押し寿司も、作品のほとんどには、単なる「寿司」タグが付いているらしい。
発展
現在の形状になったのは江戸時代になってからだが、当時は現在で言うコンビニおにぎりやサンドイッチのような代物で、大きさも大人の掌ほどもあった。
また屋台で出されるのがほとんどで、ネタも主に酢じめや加熱した食材を使っていた。生魚を多く使うようになり、高級料理として認知されはじめたのは明治以降である。
「火事と喧嘩は江戸の華」といわれるほど、江戸は火災とそれに伴う地区改変が多く、土木建築の職人の出入りが激しさから、人口の大部分を男性が占めていた。
このことから屋台や居酒屋による外食文化が発達し、蕎麦・天ぷら・団子など片手間で立ち食いできる代物が好まれた。
江戸出身で屋台寿司の「與兵衛鮓」華屋與兵衛と、大阪出身で箱寿司職人だった「いさご鮨(通称『松の鮨』)」の境屋松五郎が、握り寿司の黎明期とその方向性を位置付けた先駆者とされている。
松五郎は“豪華さ・粋と風柳”を前面に押した高級寿司、與兵衛は酢〆やヅケといった創意工夫によるネタの豊富さと安さで対抗していき、いつしか“寿司の東西横綱”として不動の地位を得ていった。
明治時代に入ると寿司専門のグルメ本まで登場し、江戸(東京)の名物料理の地位を不動にしている。
昭和時代、戦後の食糧難と配給制度によって絶滅の危機に瀕するが、職人たちの必死の努力によって息を長らえ、高度成長時代とともに冷凍技術が発達し、全国区で新鮮な寿司が味わえるようになる。
特に関西圏から回転寿司が登場すると、今度は価格競争が始まり、より安く新鮮な豊富なネタの寿司を提供できるかというかたちで成長していった。