概要
寿司のうち、酢飯を使った早寿司の一種で、江戸時代の江戸で発祥したもの(江戸前寿司)。握り寿司1個のことを「1貫」というが、2貫1組で提供されるのが一般的。
酢飯(シャリ)の上に寿司種(ネタ)を乗せて、手で握って形を整える(これを「漬ける」という)。熟練者であれば、手の熱が移らない程度の1カン2秒ほどで漬けることができる。なお、回転寿司などには機械握りのものもある。「シャリ玉成形機」で形を整えたシャリに手でネタを載せて供するのが一般的。ネタは魚の切り身が多いが、生食する新鮮なものだけでなく、漬けたり炙ったり手を加えたものもあり、卵焼きのようなそれ以外の食材も一般的である。伝統的には手づかみで醤油をつけるなどして食べるが、現代ではメイン画像のように箸で食べる人が多い。
……のだが、pixivではあまりこのタグは見掛けない。握り寿司も巻き寿司も押し寿司も、作品のほとんどには、単なる「寿司」タグが付いている。
発展
江戸の握り寿司は現在で言うコンビニおにぎりやサンドイッチのような位置付けで、大きさも現在の3倍ほどもあった。シャリには砂糖を使わず、粕酢(赤酢)と塩を加えるのみで、ほんのり赤みがかっていた(赤酢はうま味が多かったので、砂糖で甘みを足さなくてもよかったのである)。また冷蔵・冷凍技術が無かったため、ネタも主に酢じめや醤油漬け(ヅケ)、加熱した食材を使っていた。ネタには下味がしっかりついているので、醤油をつける必要はなく、そのまま食べられる。江戸は独身や単身赴任中の男性が多かったことから、握り寿司をはじめ蕎麦・天ぷら・団子など屋台で立ち食いできる代物が好まれたのである。一方で握り寿司の考案者とされる華屋與兵衛の「與兵衛寿司」のような贅沢な寿司も流行り、すでに高級食としての一面を見せている。
明治から大正になると冷凍技術の発達で鮮魚保管用の氷が使えるようになったため、生魚をそのまま使うネタが増え、大きさも現在と同じ〜若干大きい程度の一口サイズに小型化、現在の形態に近いものとなる。さらに関東大震災で被災した職人が大阪などに移住したことにより、それまで箱寿司(大阪寿司)が主流であった関西地方にも「江戸前寿司」として握り寿司が広まった。
昭和に入り、戦中・戦後の食糧難と配給制度によって江戸前寿司は絶滅の危機に瀕するが、職人達の必死の努力によって息を長らえ、戦後の「すし委託加工制度」(配給米を持ち込んで職人に握ってもらう制度。「握り寿司5個と巻き寿司5切れが一人前」とされた)によって地方都市にも江戸前寿司が普及した。物流が発達していなかった時期の内陸の寿司店などは、川魚などを使っていたという。赤酢の原料となる酒粕の供給量が減ったことと、赤っぽいシャリが嫌われるようになったことからシャリに使う酢も米酢へと変わった。赤酢から米酢に切り替えることでうま味が不足するのを補うという意味と、戦後の甘みを好む風潮からシャリに砂糖を加えるようになった。屋台の立ち食い寿司が廃れ、カウンター席に腰掛けて食べるスタイルが主流となった。
高度経済成長期には物流が発達し、全国区で新鮮なネタを使った寿司が味わえるようになった。寿司店で出される寿司は比較的高価・高級なものという位置付けとなるが、低価格な庶民の味としての側面も消えることなく、回転寿司という形で普及していった。