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こんなに苦しいのなら悲しいのなら・・・・・・・・・・・ 愛などいらぬ!!
概要
退かぬ!媚びぬ!省みぬ!に並ぶ、サウザーを代表する名台詞の一つでもある。
事の発端は彼の幼少期にまで遡る。
元々はサウザーは孤児であったが、先代の南斗鳳凰拳伝承者オウガイによって心臓・血流・秘孔の位置が通常と表裏逆拾という特異体質である事を見ぬかれ、彼に拾われ、次代の鳳凰拳伝承者になる為の厳しい修行を送る事になる。
オウガイは厳しい人物であったが、決してサウザーに対する愛を忘れず、サウザーもまた、厳しいながらも深い愛情を注ぎ続けたオウガイを「お師さん」と呼び、実の父のように慕っていた。
そして彼が15歳になった頃、悲劇は起こる。
正式な鳳凰拳伝承者になる為、サウザーは「継承の儀」を受ける。
その内容は、「目隠ししてこれから襲い掛かる敵を倒せ」と言うもの。
言いつけどおり、サウザーは相手を倒した。
だが、目隠しを取った瞬間、サウザーの目に映ったのはサウザーの手によって倒れたオウガイの姿。
一子相伝の拳故に先代は命を断たれねばならない。それが「継承の儀」だった。
サウザーは、自分を息子のように愛してくれたオウガイを、あろうも事か自分の手で殺してしまった事に深く悲しみ、オウガイの亡骸を抱きしめて、叫ぶ。
「こんなに苦しいのなら悲しいのなら……愛などいらぬ!!」
そしてサウザーは愛を捨て、血も涙もない聖帝へと生まれ変わったのである・・・。
さぁ~て、今週のイチゴ味は?
原作者公認の無法地帯北斗の拳イチゴ味では、主人公サウザーが世紀末を舞台に様々な活躍を見せてくれる。というのも、このサウザー貴重な少年時代の殆どを厳しい修行に費やしたため、青春やスクールライフという言葉にとても強い憧れを抱いている。
そしてケンシロウを始めとした強敵たちが、世紀末以前に謳歌してきたあんなことこんなこと、お師さんの所で修行して無ければ自分も味わえたのではないのかとか考え続けた結果、あんなひねくれた嫉妬の塊と化した。
故に、このシリーズの各話、大抵の原因がお師さんだったりする。
…そんな人によってはトラウマ級の思い出なのにもかかわらず、陰口叩いたりせず、原作通りお墓作って安置してるあたり、(皮肉にも)サウザーのお師さんへの愛は本物だったのだ。
本当に愛はいらないのか?
今日見かける作品では、愛に生きる人間というのは見方によっては周りを顧みない自分勝手と解釈される事がある。戦争を題材とした物、特にガンダムシリーズのような作品等では愛を優先し感情の赴くままに動こうとする人間は戦場を混乱させるクズや歯車になりきれなかった出来そこないの兵士即ち敵味方どちらから見ても障害物として批判される。
山口貴由の漫画「悪徳御用ガラン」に「愛の正体」というエピソードがあり「守ることもできぬのに恋をする男、そんな男を選んだ女、どちらも悪いのだ。」「『愛』ってのは便利なモンだなァ。」「デタラメな歌詞でも『愛』でしめくくっときゃあ、みんなラリラリになっちまいやがる。」という愛を「甘ちゃんの戯言」と否定するような模写がある(そんな話を書いた山口貴由氏がガランの次に書いたのが愛を肯定する作品の「覚悟のススメ」である)。
しかし、本田透氏の著書である電波男にて、本項にもあるサウザーや宮崎勤、ノーマン・ベイツを例に挙げて「愛を捨てた人間は鬼畜になってしまう」と解説されている通り、愛を知らずに育った人間は文字通りのモンスターになってしまう。人間の心というのは、一方にあれば良いという単純なものでは無いという事である。
また、有名なキン肉マンの主題歌「キン肉マンGo Fight!」の歌詞にも「ああ、心に愛が無ければ、スーパーヒーローじゃないのさ」とある。
そして何より、サウザーには自らをも超えた南斗鳳凰拳伝承者になってほしいと願って「継承の儀」を執り行ったオウガイの行為もまた「愛」と言えるのではないだろうか?
とは言え、「過ぎたるは及ばざるが如し」という言葉のとおり、何事もバランスというのが重要なのであろう。
余談
北斗の拳と同じく武論尊がコンビを組んでいた平松伸二の作品「ブラック・エンジェルズ&マーダーライセンス牙」及び「外道坊」にもサウザーのように愛を否定する悪役が登場する。
が、平松作品は基本悪役は殺すというスタンスを取っている為か、他の外道のようにアッサリ殺された。
関連イラスト
そんな愛などいらぬ!
関連タグ
ヤンデレ(こちらも愛ゆえに狂気に走った存在)
愛でも許されない(だからと言って悪い事しちゃダメよ)
ああ、心に愛がなければ…(対義語)