概要
日本の漫画原作者。ペンネームの由来はアメリカの俳優チャールズ・ブロンソン。
史村翔
「史村翔(ふみむら しょう)」のペンネームでも活動している。
『ドーベルマン刑事』連載当時、集英社から専属契約を持ちかけられるが、他誌での活動も考えていたため断り、集英社以外の雑誌で連載する際の別名義として「史村翔」を使用した。
「武論尊=ハードボイルド・アクション」というイメージが定着したため、現在は作品の内容に合わせて名義を使い分けている。
略歴
1947年、長野県南佐久郡野沢町(現・佐久市)に誕生。家は貧しく、おばあちゃんの財布から金を抜いて漫画本を買っていた。中学校卒業後は自衛隊生徒として航空自衛隊に入隊。落ちこぼれグループでパチンコばかりしていた。
1970年、航空自衛隊を除隊。コンピューターの専門学校に入学するが、学費を払えず卒業していない。
1971年、自衛隊生徒の同期だった漫画家・本宮ひろ志の家に転がり込みアシスタント待遇となるが絵は描けず、本宮プロのアシスタントたちを相手に賭け麻雀やノミ行為でお金を巻き上げていた。『男一匹ガキ大将』の担当だった西村繁男は邪魔な武論尊を本宮プロから引き離し、原稿の書き方を教育する。
1972年、「週刊少年ジャンプ」(集英社)掲載の『五郎君登場』(画:ハセベ陽)で原作者デビュー。
1973年、本宮プロから独立。
1975年、「週刊少年ジャンプ」連載の『ドーベルマン刑事』(画:平松伸二)がヒット。
1978年、「週刊少年サンデー増刊号」(小学館)で『ファントム無頼』(画:新谷かおる)が連載される/史村翔名義。
1980年、「週刊ヤングマガジン」(講談社)で『Oh!タカラヅカ』(画:小野新二)が連載される/史村翔名義。
1983年、「週刊少年ジャンプ」連載の『北斗の拳』(画:原哲夫)が大ヒット。
1989年、「週刊ヤングマガジン」(講談社)で『右向け左!』(画:すぎむらしんいち)が連載される/史村翔名義。
1990年、「ビッグコミックスペリオール」(小学館)で『サンクチュアリ』(画:池上遼一)が連載される。
余談
- 『ドーベルマン刑事』のヒットで急に大金が入った武論尊は熱海で芸者を揚げて豪遊し、体を壊して入院した。
- 『北斗の拳』は原哲夫の書いた読み切り作品だったが読者アンケートが良く、連載化のため原作者を付ける事となったが誰も請けてくれず、武論尊に御鉢が回って来た。当初、原哲夫も武論尊が原作になるのは嫌がっていたという。