本名:高森真土(1940年6月16日~2012年1月2日)
概要
兄弟の共同著名に正木亜都がある。
梶原の没後は、梶原作品のリメイクも手がけていた。
早稲田大学中退と称していたが、実際は入学していないとされる。
兄の紹介により極真会館に入門し、創始者である大山倍達とは義兄弟の契りを結び総本部の師範代も務めたが、ウィリー・ウィリアムスVSアントニオ猪木戦にからむ確執で関係は途絶え、独自の門派「真樹道場」を興して独立。
生涯を通して身体の鍛錬に励み、還暦を過ぎた頃も毎日数百回のヒンズースクワットをこなしていた。
略歴
1940年6月16日、東京都渋谷区穏田(現在の神宮前)に誕生。
1945年、東京への空襲が激しくなったため、宮崎県東臼杵郡富島町(現在の日向市)に疎開。終戦後は川崎市を経て蒲田(大田区)へ転居。兄とともに万引き・かっぱらい等の犯罪を繰り返すが両親は全て兄の朝樹(梶原一騎)のせいと考え、真土(真樹日佐夫)ばかり可愛がった。
1956年、東京都立小山台高等学校(品川区)に入学。空き巣狙いで逮捕され、保土ヶ谷鑑別所へ入れられ、小山台高校からは放校となった。その後、傷害・恐喝などの容疑で逮捕されて東京少年鑑別所に入り、八街中等少年院に送られた。少年院で勉強に励み大検に合格する。
1965年、ぼくら(講談社)で「ウルトラQ」のノベライズを連載。
1967年、兄の紹介で極真会館に入門。
1968年、小説「兇器」でオール読物新人賞を受賞(ペンネーム:高森真士)。
1969年、「おれのマウンド」(画:松森正)を少年チャンピオン(秋田書店)で連載。
1970年、「ワル」(画:影丸穣也)を少年マガジン(講談社)で連載。代表作となる。
1977年、極真会館総本部第3代師範代になった。機関誌「現代カラテマガジン」(旧・「近代カラテ」)の刊行を大山館長から任される。
1980年、ウィリー・ウィリアムスVSアントニオ猪木戦にからむ確執で梶原兄弟と極真側は断絶し、独自の門派「真樹道場」を興して独立した。
1990年、「大山倍達との日々―さらば、極真カラテ!」(ペップ出版)を出版。
2011年、1月16日放送の「サンデージャポン」(TBS)に初出演。その後も度々出演した。
2012年1月2日、逗子マリーナ(神奈川県)でヨットへ乗船しようとした際に倒れ、急性肺炎により死去。71歳。
主な作品
ワル けものみち タイガーマスク☆ザ・スター 新☆四角いジャングル