有里紅良
ありさとあから
日本の漫画原作者。1961年8月30日生、北海道出身。女性。
創作演劇集団「ら・むうん(La・Moon)」の初代代表。同団体メンバーである漫画家の夢来鳥ねむとのコンビで知られている。電撃文庫にていくつかの作品を出しているラノベ作家でもある。
ら・むうん関係者および同団体のファンからは「紅良ママ」という愛称で呼ばれている。
後述もするが、映像編集技師として虫プロ(新社)の本所属スタッフやマッドハウスの外部制作スタッフだった事もあり、140文字の世界における往年のアニメーターの過去話にも登場する事のあるヒト。
そうした中で「虫プロの(女性の)伊藤さん」「マッドハウスの伊藤さん」「尾形さんとこ(尾形編集室)の伊藤さん」という名前が出た時には、この「伊藤さん」は大抵は有里の事を指す。
(注:単に「虫プロの伊藤さん」だと同じ編集技師かつプロデューサーである伊藤叡と混同されてしまうので要注意)
執筆されている作品(夢来鳥との共著によるものすべてを含む)は、ほぼ全て(ヒーロークロスライン企画作である『セイル』を除く)において一定の世界観を持つ共有設定の下に制作されている。
元々は虫プロ(新社)におけるフィルム編集担当のアニメ制作スタッフ(フィルム技師)として業界に携わり、これと並行して水木しげる作品を対象とした同人活動を行っていた。
が、同人作品の制作中、こだわりすぎた結果として暴走。ダイナビジョン(いわゆる止め絵による紙芝居方式の、アニメ一歩手前状態な映像作品)の制作に乗り出し、アニメスタッフとしてのコネクションを爆裂させ、制作サークルのスーパーバイザー(ご意見番・指導役)として水木しげる先生ご本人や田の中勇氏を招聘して、両者からの直接指導を賜ってしまう。
と、いうワケで実質、水木しげるの弟子のひとり、と見なされていることもある。そのため作風やテーマなどは水木作品から継承されたものが多く、主には「まつろわぬものたちとの共存」や「未知なるものへの隣人としての畏敬」が主要素として挙げられる。それらを水木作品以上に特に女性にとっつきやすいように現代ナイズ(もっと有体に言えばお姉さま向けに)したものが「ら・むうん」(有里)の作品である、とも言われている。
特にら・むうんの作品に頻出している近江真吾やディアール・オーク(松宮弦也)といったチート系のキャラクターは、それを象徴する存在でもある。
また、このダイナビジョンシリーズの制作にあたり演者を広く求めようとオーディションすら行った。この時、企画に賛同し仙台からやってきて猫娘役を射止めた女学生が後の夢来鳥ねむである。
結果、この同人活動が後の演劇集団「ら・むうん」の基礎となっている。後に夢来鳥が漫画家として賞を取りデビューした事をきっかけに「ら・むうん」は、同人サークルから夢来鳥の活動をサポートする創作団体(シンクタンク)および所属メンバーが制作した作品の著作権管理団体として行動するようになっていき、有里はその団体の代表として夢来鳥作品の漫画原作や小説作品を執筆するようになる。
1990年代後半に入りアニメ制作がデジタル化し、フィルム編集の意義が薄れてしまった事を期にアニメーターとしては引退し、作家活動に専念するようになる。
なおフィルム技師としては虫プロのみならず、マッドハウスの作品にも名義が出ている人物でもある。気になる人は本名の「伊藤勇喜子」でフィルモグラフィーをググってみよう。有名どころでは『魔物ハンター妖子』や『劇場版 ケロちゃんにおまかせ!』が編集参加作の代表例として挙げられる。
というかマッドハウス絡みのCLAMP作品にはダブルエックスからカードキャプターさくらまでたいていは何かしらの形で関わっている人だったりする。
1999年、乳がんの罹患が発覚。一時は治療により平癒に至ったものの2006年に再発。病床にて病と闘いながら創作活動を続けるも2015年7月2日に逝去に至る。そして同年の11月30日に、師である水木しげるも同じように旅立っていった。ファンの間ではママは敬愛する我らが御大(水木)の露払いのために旅立って行かれたのだ とも言われている。
執筆ラノベ
- ラルフィリア・サーガ
- HAUNTEDじゃんくしょん 風塵の鬣
- Under Heavens ふぁみりぃ
- なぞらえ屋 秘匿文書
原作協力作
- HAUNTEDじゃんくしょん(夢来鳥単独名義・原作協力者としてクレジットあり)