軍事力を中心にした国づくりを目指す思想。
英語ではmilitarism、ドイツ語ではMilitarismusと呼ばれる。
ちなみに軍およびその代表が国の統治を行う「軍事政権」とは別の概念である。
軍事政権が率いていて事実上重なる場合もあるが、共和制国家でも君主制国家でも社会主義政権でも存在する。
通論
この言葉は19世紀にナポレオン3世のフランス統治に対し、社会主義者や共和主義者が批判する際に「戦争を外交の主たる手段と考え、軍事力を最優先する考え方ないしイデオロギー」( ブリタニカ国際大百科事典 )として用いたといわれ、それ以降、平和を脅かした国家という、ファシズム等と同じようなレッテル貼りとして用いられた経緯がある。
また、軍事費や軍事費の割合等の「目に見える数値」で見えない、割と漠然とした体制かもしれない。
歴史上の国家
この種の「軍事力を国家戦略上優先し、その増強のため政治体制・財政・経済体制・社会構造などを集中的に投入」しひどい場合には国家全体がまるで兵営のようになったような国家体制および思想は、古代より見られ、古代ギリシャのスパルタやフランス中世のカロリング朝などがその実例ではないかいわれる。
また、戦争が発生する状況においては多かれ少なかれソースが目の前の戦いに優先されるため、たいていの国家においてこの傾向が強まるとされる。
現代においてはすべてにおいて軍事を優先し、朝鮮人民軍を社会主義建設の主力とみなす政治思想である朝鮮民主主義人民共和国の先軍政治などがこの思想に類似するものではないかと思われる。
大日本帝国の場合
大日本帝国においては明治時代以降富国強兵が唱えられ、周辺国の不安定により軍事力を行使することになり、単年度国家予算を遥かに超える戦費の大戦争を経て対外侵略に出るしかなくなった。
そして昭和12年以降は国家予算の大半を軍事費に費やすようになり、国外からの圧力もありアジアの征服を標榜しアジア・太平洋戦争を起こす羽目に陥ったのである。
なお第二次世界大戦中昭和19年の軍事費の国家予算に占める比率は脅威の85.3%である。これだけの支出に圧迫されての国民生活の耐乏は想像に難くない。戦前の日本は、実に軍閥に滅ぼされたのであった。