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T-6の編集履歴

2017-12-29 19:59:45 バージョン

T-6

てぃーろく

1930年代、ゼネラルモータース航空機部門が開発した単葉・単発の練習機で、素性の良さから様々な用途に転用されている。生産工場がテキサス州だった事から「テキサン(テキサス州人)」と親しまれ、その後多くの国に供与されたことから世界中でも知られた航空機。

『俺のTバードを馬鹿にしやがると許さんぞ!』

エリア88「炎の老兵」より


T-6は戦後(1948年)に第二次世界大戦後再生産されて以降の型番で、既に生産されていた機もこれに従って呼ばれた。採用された時の型番はAT-6


『テキサン』とは

基礎練習機BT-9

1934年に陸軍から出された要求に基づいて、当時のゼネラルモータース航空機部門(当時。まもなくノースアメリカン航空機として独立する)が提出した練習機で、単発・単葉、主翼だけ金属製で固定式車輪という、単葉が少々垢抜けて見えたことを除けば、当時としても普通の練習機であった。


この計画書、つまり社内設計書記号NA-16号は、基礎練習機BT-9として採用され、優れた素性や操縦性によって好評を博した。これに手ごたえを掴んだ陸軍はより高度な練習機を求め、これが続くBC-1として完成することになる。

また、陸軍(航空隊)(→空軍)だけでなく海軍でもSNJと言う名称で採用されている。


戦闘教習機BC-1

先のNA-16号の設計を改良を加え、射撃練習用に武装を可能とし、車輪も引き込み式にしたNA-26号が基になっており、戦闘教習機BC-1として採用された他、タイ向けの軽攻撃機A-27として輸出されている。これはフィリピンでも駐留アメリカ軍に運用されていたが、大東亜戦争に伴うフィリピン侵攻により何れも破壊された。


高等練習機AT-6

このBC-1にセミ・モノコック構造を取り入れて、エンジンを換装するなどの改良を施した型が高等練習機AT-6(NA-59)である。


AT-6はアメリカ本国で運用される一方、イギリスへ向けて多くがレンドリースされている。イギリスへの供与名はノースアメリカン「ハーバード」といい、増強を急がれるイギリス空軍の飛行士育成に活躍した。


戦後のテキサス人

世界を股にかけたもの

第二次世界大戦が終結し、各国で一気に軍縮が始まった世界でも、T-6は必要とされていた。T-6も軍縮の例に漏れず、多くが現役を引退していたが、これが自家用機として払い下げられる一方、生まれたばかりのアジア・アフリカ諸国でも新しい生涯を始めていた。搭乗員の新規育成に利用する一方、射撃訓練にも転用できる特性を生かして国内平定へも使われたのである。


ノースアメリカンはこれら新規需要向けに生産ラインを復活させて新造機を生み出す一方、中古機も仕立て直しついでにG型へと改造し、シリア等で軽攻撃機としての活躍も残している。


テキサス浪人のご奉公

このT-6は1950年代までアメリカで運用され、その後は新造機・中古機が同盟国向けに供与された。替わって配備されたのはT-28「トロージャン」で、のちにフランスはアルジェリア独立戦争でこの機を対地攻撃に転用してCOIN機誕生の礎を築いた。


しかし今にして考えると、そういった分野でもT-6は先を行っていた。

朝鮮戦争では、T-6に地形を良く知る陸軍兵を同乗させ、攻撃機を間違いなく誘導する『モスキート・ミッション』にも動員された。この役割はまさにFAC(Forward Air Control:前線空中管制)とハシリだと指摘できるだろう。


テキサンの現在

練習機として親しまれた素性のよさは相変わらずで、よく飛行士に愛される航空機である。

払い下げになった後の経歴も様々で、飛行クラブや農薬散布、果てはドサ回りの曲芸飛行士の相棒にと、広く用いられた。


もちろんアメリカでの人気も健在で、リノ・エアレースでは「テキサン級」という、T-6によるワンメイク部門が設けられている程である。その他各地の保存会でも、ウォーバード(War Bird:戦時中の航空機)として大事にされており、サーカスの前座からレースの真打ちまで人気を博している。


日本におけるテキサン

1955年1月から1970年にかけて、航空自衛隊が運用した例があまりにも有名。

元々は中間練習機として採用されたものの、基礎練習機のT-34が前輪式を採用していたのに対し、こちらは後輪式を採用していたこと、しかもその上の練習機がジェット機というのもどうなのよ?という意見が出たうえ、1950年代後半の時点でさえかなり陳腐化したことから、自主開発ジェット訓練機に置き換わることになった。そして1960年代にはその訓練機に置き換わる形でほとんどの機体は退役したものの、ごく一部は救難機として引き続き活躍した。

ただその救難機も三菱重工業が開発・生産したターボプロップビジネス機・MU-2(の航空自衛隊バージョン)に置き換わる形で姿を消した。

それでも創世記の航空自衛隊を支えた機体と言うこともあり、2017年年末現在、日本全国に12機保存されている(が、かつてはその倍以上は保存されていた)。しかも静岡県浜松市に保存されているものは、エンジンに常にオイルを仕込んであり、3、4ヶ月に一度はエンジンテストを行っているそうである。ゆえに、その気になれば空を飛ばすことも出来るらしい。


ほかにも海上自衛隊(アメリカ海軍風にSNJと呼ばれた)でも航空自衛隊と同時期に練習機として導入、富士KM-2(T-34の魔改造バージョンのひとつ)に置き換えられてからもしばらくは連絡機として使用されたという。こちらも山口県下関市などに計4機が保存されている。


実は、第2次世界大戦開戦前の1938年海軍2機購入していた。これを参考にして、福岡県の九州航空機というメーカーか練習機を開発したそうである。

また、航空自衛隊や海上自衛隊を退役した機体の中には、映画撮影のためにゼロ戦もどきに改造されてしまったものも少なくない。さらに言えば現存する保存機でも、石川県小松市と京都府南丹市に保存されているものは、日本海軍の塗装に塗り替えられてしまっている。

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