アステカ神話の主神の一柱
古代メソアメリカ文明圏の神話に登場する蛇神。特に、「ケツァルコアトル」というナワトル語名で呼ばれるのは、メキシコ中央高原で信仰されていた農耕・文化神である。
名前は「ケツァル鳥の羽をもつ蛇」という意味のナワトル語で、その名のとおり羽毛の生えた極彩色の蛇として表される。また、人間の姿では白い肌の精悍な美男とされることもある。
どちらかというとトルテカで信仰篤かった神で、アステカでは必ずしも主神ではなかったにもかかわらず、なぜか現代人に絶大な人気と知名度があり、フィクションにもよく登場する。
とくにファンタジー作品に頻繁に登場するほか、歴史ものでアステカ人が出てくると大抵この神を崇拝している。地球史上最大の飛行生物であった翼竜ケツァルコアトルスや、小惑星1915ケツァルコアトルの名は同神にちなんでいる。モルモン教ではイエス・キリストが伝説化したものと主張されている。
アステカ以外での信仰
アステカ文明より1000年以上も遡り、メソアメリカでも特に古い都市遺跡であるテオティワカン (100?~600? CE) の出土品や神殿の石彫などでその姿が確認されていることから、紀元前に遡る古い神であることがわかる。
また、「羽毛の生えた蛇神」 (feathered serpent) の図像は、メソアメリカに広く分布している。マヤ文明にもケツァルコアトルに対応する「ククルカン」(ユカテク語)、「ククマッツ」(キチェ語)という羽毛の蛇神がおり、『ポポル・ブフ』等にも登場する。とくにチチェン・イツァ遺跡のククルカン神殿が有名。
「ケツァルコアトル」も「ククルカン」「ククマッツ」も、風や雨などの天候や農耕・文化に関わる神であった。雨・嵐の神(メキシコ中央高原ではトラロック、マヤではチャク)と並んで、トウモロコシ農耕を中心とするメソアメリカ社会にあって、生活を左右する重要な神として崇拝されていたようだ。
また、人々に文明・農耕を教えた開拓神、文化英雄、学問・知識の神でもあり、後述するようにトリックスターでもある。
トルテカのケツァルコアトル
メキシコ中央高原のトルテカ族にとっては主神として崇拝され、その信仰心から、王や神官がケツァルコアトルの名を名乗ることもあったようだ。
下記の伝承に登場するケツァルコアトルは、トルテカの族長ミシュコアトルの息子で、名を「セ・アカトル・トピルツィン・ケツァルコアトル」、訳すと「『1の葦』の日に生まれた我らの王子ケツァルコアトル」といった。
伝承によれば、トゥーラを首都とするケツァルコアトル王の治世の時代、トルテカ族は近隣の山で翡翠や金銀の富を手に入れ、やがて人を生贄にする儀式をやめるようになり、これらの改革によってケツァルコアトル王は国民が平和に暮らす時代を築いた。
しかしそれを良く思わない呪術師「テスカトリポカ」は、知略によってケツァルコアトル王を陥れる事を企む。姿を変えたテスカトリポカ(変化した姿は蜘蛛、老人等の説がある)は、プルケという酒をケツァルコアトル王に勧める。勧めるままにプルケ酒を飲み続けたケツァルコアトル王は泥酔して正気を失い、妻の事も忘れて妹と同衾するなどの醜態をさらし、国民からの信頼を失う。
トルテカの地からの追放を余儀なくされたケツァルコアトル王は、持っていた宝を全て隠し、田畑を焼き払い、神殿を破壊して立ち去った。
立ち去る際「1の葦の日に必ず私は戻ってくる」という言葉を残し、
そしてわずかな臣下を連れて一艘の舟を漕ぎ出し、東の海へと消えたという。
(別の伝承では、舟の上で自身を炎で焼き、その遺灰があらゆる色の鳥、または金星に変わったとされる)
この伝承は、トルテカ内部での主神の座をめぐる神官間の派閥争いが神話化されたものとする説もある。
アステカのケツァルコアトル
トルテカの崩壊 (ca. 1200 CE) から200年あまり後、メソアメリカに移民し覇を唱えたアステカ(メシカ)族は、トルテカをはじめとするメソアメリカの既存の文化を吸収した結果、トルテカの主神であったケツァルコアトルも崇拝している。「ケツァルコアトル」はアステカの最高神官の称号でもあった。
また、ケツァルコアトルは、風の神「エエカトル」(ナワトル語で「風」を表す普通名詞でもある)とも同一視され、金星の神「トラウィスカルパンテクトリ」とも同一視されている(トラウィスカルパンテクトリ神はケツァルコアトルの凶暴面を表しているという)。
風の神としての性質から、ケツァルコアトルの神殿や祭壇は風に逆らわないよう円形に造られることがよくあり、そういった祭壇の遺構のひとつが、現在ではメキシコシティ地下鉄ピノ・スアレス駅構内に残っている。
また、トルテカの神官王の伝承からケツァルコアトルは生贄の儀式を嫌うものと思われがちだが、それはトルテカの神官王のほうであり、ケツァルコアトル神自体は生贄の儀式を拒まない。
メキシコ中央高原の範囲にあるチョルーラでは、ケツァルコアトルへの供物として多数の人間が生贄として命を断たれている記録が残っているほか、現実に各地のケツァルコアトル/エエカトル神殿跡からは生贄の人骨が出土している。日本で出ている神話本などは情報が古く、最近の知見を反映していないことがあるので注意。
始原の創造神夫婦「オメテクトリ(夫)・オメシワトル(妻)」の4人の息子のひとりとして扱われる。闇の神テスカトリポカとは兄弟神でありながら宿敵同士であり、時には世界創世に協力し合い、対立して滅ぼし合う、永遠のライバルのような関係にある。
第1の太陽の時代、太陽となったテスカトリポカをケツァルコアトルは天から叩き落とし、ジャガーに変えてその時代の人間(巨人)を食い荒らさせて滅ぼし、第2の太陽の時代ではケツァルコアトル自身が太陽となるが、テスカトリポカが風を起こして万物を吹き飛ばしたことによって滅ぼされ、トラロック(雨の神)が太陽となった第3の太陽の時代では、ケツァルコアトルは火の雨を降らせて人間を焼き滅ぼして七面鳥へ変える。
第4の太陽の時代が滅んだのち、新たな人間を創造するため、ケツァルコアトルは死の世界「ミクトラン」へと赴き、そこで冥界の支配者「ミクトランテクトリ」との知略戦も繰り広げることもあり、第5の太陽が創造された後、その太陽に神々の血を捧げる役割を担ったこともある。また、第5の太陽が作られる以前にトウモロコシを人間の食料として定めたのもケツァルコアトルである。
白い肌という姿
史書では、白い肌に黒い髪と髭を持つ異邦人の姿として書かれることがあり、「当時のアステカ王が白人であるコンキスタドールをケツァルコアトルと勘違いして応戦が遅れた」とする記述もあるが、これは後世の創作ではないかという説がある(たった500人程度の征服者に屈辱的な敗北を喫したアステカ人の子孫である年代記制作者が、先祖の敗北に何らかの理由をつけるために創作したエピソードではないかともいう)。現在、「スペイン人をケツァルコアトルと勘違いした」という説を留保なしに採用する研究者は少ない。
余談
アメリカで1970年代に発掘された、生物史上最大の飛行生物と謳われる巨大な飛行性爬虫類(翼竜)の化石には、この神格にちなんで「ケツァルコアトルス」(Quetzalcoatlus) という学名がつけられた。
また、グアテマラの国鳥でもある鳥の「ケツァール」(カザリキヌバネドリ、ただし「ケツァール」で鳥を表すのはスペイン語で、本来ナワトル語で「ケツァル…」=「ケツァリ」とは鳥の名ではなくその羽のこと)はケツァルコアトルの使いとして重要視されており、美しい緑色の構造色をもつケツァールの羽毛を身につけることは、最高位の聖職者と王だけに許された特権だった。ケツァールの羽毛を用いた当時の見事な羽飾りは、現在、ウィーン民族学博物館、メキシコシティ国立人類学博物館などで見ることができる(後者はレプリカ)。
ケツァルコアトルを元ネタにしたキャラクター
ナワトル語では「ケツァルコアトル」は一語で発音されていたので、語の区切りを基準とするなら「・」は本来不要である。
また、しばしばゲーム等に「ケツァルカトル」「ケツァルクウァトル」等の変則的なカタカナ表記で登場するが、これらの表記にはまったく根拠がない。