概要
西から北はメキシコ、北東はベリーズ、南東はホンジュラス、エルサルバドルと接する。中米では最も人口が多いとされアメリカ大陸全体では11番目。
首都グアテマラシティの正式名称はヌエバ・グアテマラ・デ・ラ・アスンシオン、中米最大の都市とされる。
歴史
成立
1821年9月15日スペインより独立するもメキシコ帝国に併合。1823年の崩壊に合わせ中央アメリカ連邦共和国の一つとなるも保守とリベラルの対立から連邦は解体、保守派が1839年に独立宣言。1879年に憲法が制定。
独裁
1898年にマヌエル・エストラーダ・カブレーラが大統領に就任すると1920年に失脚するまで独裁統治。失脚後はクーデターが繰り返されたが1931年にホルヘ・ウビコ将軍が権力を掌握。ところが将軍は強権による独裁で「ウビコ以外に自由なし」と称されたが1944年に追放、民主主義が成立。
この頃バナナやタバコのプランテーションを仕切っていたユナイテッド・フルーツ社(UFCO)に対する革命抑止のためにアメリカの軍事介入が発生(後にバナナ戦争と呼ばれる)。
アメリカ介入
1951年に大統領に就任したハコボ・アルベンス・グスマンは急進的改革(グアテマラ革命とも呼ばれる)を勧めていたが、共産化を恐れていたアメリカがネガティブキャンペーンを展開。UFCO社の土地接収を知った途端、CIAを使い1954年に政権転覆計画(PBSUCCESS作戦)を実行、親米政権が成立するも1960年に内戦突入。
内戦
政権をアメリカとイスラエルが、反政府勢力をソ連とキューバが支援するというまさに東西対立。政権はクーデターを繰り返し、反体制派はゲリラ戦で対抗。
1980年にはスペイン大使館が農民グループにより占拠、これによりスペインとグアテマラは断交。
国際的な避難が高まり1987年に和平委員会が成立。1989年のマルタ会談で東西冷戦も終結。
双方ともに事実上援助が打ち切りとなり、1996年に和平合意が成立したが20万人以上が死亡したとされる。
近況
コーヒーやバナナだけでなく繊維産業や観光産業で経済を立て直し、雇用創出による貧困対策や治安改善に取り組んでいる。
日本との関係
コーヒー農園の労働力として1893年には日本から初の移民が行われた。
1935年に国交樹立、第二次大戦で一時断交するも1954年に再開。1964年にグアテマラ日本大使館が、1967年にグアテマラ大使館が開設。
渡航
90日以内の観光滞在であれば査証は不要。過去に偽造された日本のパスポートでの密航が多数摘発されたため入国審査は厳しく、入国スタンプの押し間違いによるトラブルも発生しているので注意。
日本の外務省は全域で強盗や殺人が多発しているため要注意。
さらに、イサバル湖畔のエル・エストールは鉱山会社と地元住民が対立、中西部のナワラ、サンタ・カタリーナ・イシュカワンは水源地の所有をめぐり緊張状態。最西部イシュチグアン、タフムルコは麻薬栽培を巡って対立しているので絶対に近づかないようにとのこと。