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醍醐輝久の編集履歴

2018-10-19 15:59:04 バージョン

醍醐輝久

だいごてるひさ

醍醐輝久とは江戸時代中期から後期の公卿。

概要

父は右大臣醍醐経胤、母はお升(宗義誠の娘)、官位は正二位・権大納言

プロフィール

時代江戸時代中期-後期
生誕宝暦10年6月13日(1760年7月25日
死没享和元年7月25日(1801年9月2日
官位正二位、権大納言
主君後桃園天皇光格天皇
氏族醍醐家
父母父:醍醐経胤、母:お升(宗義誠の娘)、養父:醍醐冬香
兄弟冬香輝久兼純
蜂須賀幸子蜂須賀重善の娘)(一条輝良の養女)
輝弘隆生、信子

経歴

父・経胤の死後、醍醐家当主となった義兄の兼純(経胤の養子)、実兄冬香(兼純の養嗣子)がいずれも早世し、安永元年(1772年)冬香の死に伴い家督を継ぎ、同年叙爵。以降清華家当主として速いスピードで昇進し、侍従右近衛権少将・左近衛権中将をへて、安永5年(1776年)に従三位に達して公卿に列する。その後、踏歌節会外弁・権中納言を経て、寛政元年(1789年)に権大納言となり、享和元年(1801年)に職を辞した。同年中に薨去。享年42。

家族

系図

後陽成天皇一条昭良醍醐冬基醍醐冬熙醍醐経胤醍醐輝久

系譜

父:醍醐経胤

母:お升(宗義誠の娘)

養父:醍醐冬香

妻:蜂須賀幸子蜂須賀重喜の娘)(一条輝良の養女)

長男:醍醐輝弘

次男:四条隆生

長女:醍醐信子(徳大寺実堅室)

醍醐忠順(輝弘の子)

四条隆謌(隆生の子)

中院通富(信子の子)

関連項目

朝廷 公卿 醍醐家 清華家

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