概要
藤原北家閑院流、西園寺家の庶流。家業は琵琶。江戸時代の家禄は1355石、正保2年(1645年)に300石加増され1655石となり、摂家の鷹司家の1500石を上回ることになった。明治維新後は侯爵(脩季が叙爵)。家紋は三つ楓。
鎌倉時代末期、太政大臣西園寺実兼の四男右大臣今出川兼季(菊亭兼季)によって創設された。「今出川」は兼季の邸宅・今出川殿からとったもの、また「菊亭」はこの今出川殿に兼季が愛好した菊が数多く植えられていたことからとった名称で、兼季はこの双方を用いている。江戸時代中期に篠崎東海が表した有職故実解説書『故実拾要』によると、大納言までは「菊亭」を称し、大臣にのぼると「今出川」を称したのだという。
安土桃山にでた晴季は、羽柴秀吉に関白任官を持ちかけたことで知られ、その後右大臣にのぼって朝廷と豊臣政権との間の連絡役として重きを成した。
貴族の中でも立場が弱く、江戸時代には「おめり申し上ぐべし」と言われていた。遠慮して申請せよという意味で、たとえば他家が二年目に官位を申請するならば、菊亭家は同じ官位を三年目に申請せよという具合である。ただし家領は清華家随一で、1355石余を有していた。清華家で1000石以上を有していたものは他にない。(財政的に恵まれていたからこそ遠慮が求められたとも考えられる。)
長く「今出川」と「菊亭」の双方を称していたが、明治維新後に改めて「菊亭」を名字としたものの、現在の子孫は「菊亭」ではなく「今出川」を名乗っている。